神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

櫻澤如一の解けない謎


1 内田良平との関係


 司法省の極秘資料か(?)と思われる「全国国家主義団体一覧」によると、財団法人食養会について、


性格
 一、正食正養ヲ通ジテ惟神皇道ノ宣布ヲ主張ス
 一、大日本生産党

役員 
 顧問 櫻澤如一
 会長 関根康喜
 理事 原典作、江藤源九郎、小松崎重、長瀬巌、山本喜志次、滝沢利量、藤田正直、今川忠次

会員 六千名


とある。


 大日本生産党は、黒龍会内田良平が昭和6年6月に結成した国家主義政党。櫻澤と、内田といったいどういう関係があるのだ?


 食養会の理事小松崎重は、大日本生産党の中央常任委員だったことはわかった。
 また、食養会会長関根康喜には、『出版の研究』『紙』『屑の話』『戦時再生資源』などの著書があることから、出版関係者かと思われる。



2 日本ローマ字社との関係



 櫻澤の「経歴書」の大正13年の条に「田中館愛橘博士、田丸卓郎博士主宰の社団法人日本ローマ字社の事業−スナワチ畢生の事業、(中略)日本民主化の第一条件たる国語改革、国字革新運動に一身一生を投じ、爾来三十余年」とあり、また、「略年譜」の大正8年の条に「ローマ字文芸雑誌YOMIGAERIを創刊。「大和言葉のよみがえり」を提唱。ローマ字による国字革命運動の先鞭をつける」とある。


 これについては、日本ローマ字社に昭和8年4月から昭和14年12月まで勤務したことのある平井昌夫の『國語國字問題の歴史』(昭和24年11月再版。平成10年2月復刻)の「國語國字問題年表」の大正8年9月の条に「櫻澤如一編”Yomigaeri”創刊(文藝雑誌、神戸) Yomigaeri no Ie の機関誌、13年5月まで)。」とあることを確認したが、それ以上調べず。僕の専門ではないしね(ていうか、僕の専門って何だっけ!?)


 『田中館愛橘先生』(中村清二著。昭和18年4月)も読んだが、無駄だった。
 ちなみに、田中館は、
 明治 9年9月 開成学校入学
   11年9月 東京大学理学部入学
   15年7月 同卒業
   24年7月〜大正6年4月 東京帝国大学教授

という経歴だから、藤澤親雄の父、利喜太郎とは開成の同級生から始まる親しき仲になる。田中館、中村は共に、千里眼事件では、具体的に関係者として登場する人達。色々、つながっていておもしろい。