神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

岩村正史『戦前日本人の対ドイツ意識』(慶應義塾出版会、平成17年3月)にぶんなぐられる。

 岩村正史氏の『戦前日本人の対ドイツ意識』を何気なく読んでいると、ガーーーーン。
 藤澤親雄や、黒田礼二がてんこ盛り。特に、書き下ろしの第7章「日独同志会関係者の親独論」はすごいなあ。

以上のような[日独防共]協定批判が広く展開されている状況に、松本[徳明]と黒田[礼二]は失望した。防共協定を高く評価していた彼らは、同じくナチスに注目していた藤澤親雄、杉山謙治(早稲田大学教授)ら同志を集めて日独同志会を結成し、国民への「啓蒙」活動に乗り出すのであった。(中略)名前を貸しただけかもしれないが、社会運動家宮崎龍介、戦後に電通社長となる吉田秀雄、昭和会の代議士でのちに佐藤栄作内閣の自治大臣となる永山忠則、日本サッカー協会会長となり西ドイツから技術コーチを招く野津謙の名があるのが興味深い。


 日独同志会。知らなんだ。それに、この本には、わすのブログで話題にした、雑誌「公論」の偽史論争や、三村三郎の著書からの引用もある。慶應義塾大学出版会の本だが、わたしゃ、××書店の本かと思ってしまったよ。
 更に、以前(2月14日)、言及した大槻憲二のヒトラー批判(岩村氏は初出の「ヒツトラーの精神分析」(『科学知識』1939年11月号)から引用)にも言及している。わすより、先に気づいている人がいたのね。しょぼーん。


 著者の岩村氏は、慶應大学院法学研究科後期博士課程修了、現在洗足学園短期大学講師。ブログをやっていたら、ぜひ見たいものだ。


 せめて、岩村氏が言及していないことを書いて、自分をなぐさめよう。


 岩村氏によると、

日独伊防共協定成立以後、露骨にドイツやヒトラーを批判すると内務当局によって削除や発禁の処分を受けたことは、(中略)『わが闘争』についても同様で、たとえば『わが闘争』を強く批判した黒崎幸吉や葦津珍彦の文章は発禁処分を受けている。しかし、『わが闘争』中の日本文化論を批判的に紹介しただけでは、処分されなかったのである。日本政府はこの記述の存在を隠蔽するつもりはなかったようである。

 この『わが闘争』中の日本文化論を紹介した人として、私は中山忠直を加えよう。
中山の『我が日本学』(昭和14年9月改訂版)中「追補」の「巻末に」によると、

本書を起草中、余はヒツトラーの「私の戦」の中に、日本に対する次の誹謗があるのを知つてゐた。然し防共国の故をもつて、その引用を遠慮した。然し今ではこれを発表しても差支があるまい。(中略)ヒツトラー曰く−
「(前略)然しながら、若しもアリアン人の影響が今後停止するか、ヨーロッパやアメリカが滅亡すると仮定した場合、科学や技術に於ける日本の興隆は猶ほ暫く持続し得るであろうか?数年後にはすでに源泉が枯渇し、日本的特色は得らるるであらうが、今日の文化は硬化して、再び70年前アリアン人文化の波によつて揺り動かされた眠りに落込むであらう。(中略)一つの民族がその文化を本質的原料に於いて他の人種から得、之を摂取し消化し、而して外的影響の停止後には再び硬化するといふ如きことが確実であるとすれば、吾々はかくの如き民族は、恐らく「文化支持者」と呼ぶことは出来ようが、「文化創造者」と呼ぶことは出来ない』(1938年版原著31・89頁)
さてところで余は微笑をもつて、この『我が日本学』を、ヒツトラー閣下に捧ぐるものである。


とある。「今ではこれを発表」云々というのは、昭和14年8月の独ソ不可侵条約によってヒトラーへの幻滅が広がっていた状況を指す。


 この『わが闘争』における日本文化論の部分は、戦前、確かに一部の翻訳書において、削除したものもあったのだが、決してタブーだったわけではなく、中山独自の発見・発表ではない。岩村氏は、この日本文化論を引用し批判する多くの例を紹介している。翻訳書においても、石川準十郎は、この部分を除外せずに訳した上、更に痛烈にヒトラーの人種論を批判している。


 石川は、『共同研究 転向 改訂増補 下』(思想の科学研究会編)によれば、昭和7年、彼が主事となって、下中弥三郎、島中雄三、大川周明らを顧問に、「日本国家社会主義学盟」を結成したという。平凡社の下中は、どこにでも顔をだすね。