「文京ふるさと歴史館だより」12号によると、
武田五一(1872−1938)は、明治末期から
昭和初期にかけて活躍した、日本近代を代表する
建築家のひとりです。(中略)代表作は日本勧業
銀行本店(明治32年、現、千葉トヨペット本社、
国登録有形文化財)、山口県旧県庁舎(大正5年、
国重要文化財)、東方文化学院京都研究所(昭和
5年、現、京都大学人文科学研究所附属漢字情報
研究センター)などで、今でも彼の作品を眼にす
ることができます。
とある。
ところが、漢字情報研究センターについては、「紅萠」
7号の「再発見ツアー 漢籍をおさめる僧院」に、
「京大本館=時計台、赤レンガの建築学教室本館、
東華菜館(四条大橋西側)などで知られる、初代の
工学部建築学科教授・武田五一が設計に関わったと
されていますが、実質的に設計を手がけたのは武田
の弟子である東畑謙三です。」田中(淡)教授は同
僚とともに1974年、東畑先生にインタビューを
おこなった。先生は設計当時二十代後半、「武田先
生から、東畑一つやってみないかと言われましたが、
恐いもの知らずで、浜田耕作先生(考古学者、のちに
京大総長)と相談して設計をすすめました。私は当時
、フランスの建築家ル・コルビュジェに心酔していま
したので、中国の研究センターだから中国的な装飾が
必要なのかとお聞きすると、そんなことは関係ない、
建物として素晴らしければそれでよい、という話でし
た。浜田先生は、わしの好きなのはスペインやイタリ
アの僧院や、と言われたのです。すでに中庭、列柱回
廊のスケッチを描いておられました。」
とあった。 全文→「紅萠」
ちなみに、同センターの中庭には、初代所長の狩野直喜
の銅像があるそうである。
今年は、建築関係の展覧会が多かった年で、武田五一の他に
清家清(建築博物館、松下電工汐留ミュージアム)、
吉村順三(25日まで、東京藝術大学大学美術館)、
前川國男(23日から3月5日まで、東京ステーション
ギャラリー)、
村野藤吾(25日まで、京都工芸繊維大学美術工芸資料館。ただし、
これは既に何度か開催)など色々多彩に開催された年であった。
追記:何か肝心なことを忘れている気がしていたら、関野貞
(東京大学総合研究博物館)を忘れていた。
今井兼次(多摩美術大学美術館)もあった。
「立原道造・建築家への志向Ⅴ」(立原道造記念館)は25日まで。
文京ふるさと歴史館で開催された「近代建築の好奇心
武田五一の軌跡」展で、年譜を見てたら、昭和13年
2月8日に百万遍知恩寺で武田の葬儀が営まれたそうだ。
青空古本祭の時には、古本供養だけでなく、武田の冥福も
祈ろう。