神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

元美術記者神崎憲一が発行した『アートグラフ』創刊号(マリア画房、昭和26年)ーーマリア画房の高野敏郎と新京の大陸美術社もーー

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これまたGo To 三密堂書店の100円均一台で見つけた戦後のグラフ雑誌。『アートグラフ』創刊号(マリア画房、昭和26年9月)。マリア画房は、現在のマリア書房である。『京都書肆変遷史』によると、高野敏郎が大阪高等工業を卒業後、堺の中学校で一時教鞭を執るが、『国際情報』*1等の販売を経験して独立。大正14年マリア画房を上京区相国寺北門前町に創業。出版内容は、図案、画集等の美術書を一貫して刊行。昭和15年統制強化に見切りを付けて、新京に大陸美術社を設立。敗戦により、身一つで引き揚げる。25年マリア画房を再開。33年法人化し、社名も(株)マリア書房に改称。57年89歳で逝去。
満洲の大陸美術社キター\(^o^)/国会図書館サーチでもまったくヒットしないが、「日本の古本屋」にあきつ書店が『大陸美術』創刊号(大陸美術社、昭和20年)を16万円超で出品している。いったい、あきつ書店はどこから見つけてくるんだ。満洲の出版社・書店に関しては、金沢文圃閣が様々なツールを出しているので、今後調べてみたい。
『アートグラフ』の編集人は、神崎憲一。元美術記者で美術関係のグラフ雑誌は、お手のものであった。神崎憲一著・加藤類子編『京都画壇散策:ある美術記者の交友録』(京都新聞社、平成6年6月)の「あとがき」(三男の神崎昭伍)から、一部の誤りを訂正した上で経歴を要約しておく。

明治27年7月 現在の佐賀県唐津市
明治43年 釜山日報社記者
大正4年1月 京城日報社に移る。
大正5年秋 京城日報社で出会った徳富蘇峰の紹介で毎日新聞社京都支局に勤務
大正8年末 毎日新聞社退社
大正9年 竹内逸(竹内栖鳳の息子)の紹介で十合(そごう)呉服店美術部嘱託
昭和4年9月 『京都に於ける日本画史』(京都精版印刷社)刊行
? 朝鮮時代の知り合い斎田元次郎(素州)の『塔影』等様々な雑誌に美術評論を発表
? 京都で『美術グラフ』を数号刊行
昭和22年 芸艸堂から『美術復興』刊行。2号で廃刊
昭和26年 マリア画房から『アートグラフ』刊行
昭和29年1月 逝去

詳細は不明だが、神崎は戦前に『美術グラフ』というグラフ雑誌を刊行していたのだ。『アートグラフ』は、その経験・人脈を生かしたものとなっている。創刊号の巻頭は、「『大観先生像』五題」と題して、安田勒彦、梅原龍三郎安井曾太郎による横山大観の写生を比較している。また、大観夫人から「大観翁の近況」の談話を取っている。そのほか、第36回院展出品者の写生、近影や談話又は寄稿を載せている。
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面白いのは、9月1日発行の奥付の横に「完成した作品の出揃うのを加へて、初版に使用した画室での資料的な写生や草稿などと相対照させた増補再版を九月十日に発行する予定」とあることだ。発行を遅らせればよい気もするが、写生段階の作品を載せた初版と、写生と完成作の両方を載せた増補版のどちらも売れる自信があっただろうか。
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*1:国際情報社の『国際写真情報』(大正11年8月創刊)か。