神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

工繊大の研究者の皆様、『マヴォ』同人牧寿雄の消息を調べて<(_ _)>ーー牧寿雄は分離派建築会作品展を観たかーー

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 内田美術書肆(のち内田アート)の創立者内田基一から田中緑紅昭和6年の年賀状を持っている。同書店は、『京都書肆変遷史』によると、大正8年京都市上京区で創業、内田は昭和46年に84歳で亡くなっている。この内田が昭和2年11月に刊行した『新希臘派模様』という本がある。今回は、この本の著者牧寿雄(まき・ひさお)について紹介しよう。
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 牧については、五十殿利治「関西「マヴォ」についてーー牧寿雄と「マヴォ」関西支部」に詳しい*1。牧を関西「マヴォ」の中心人物として、次のような事例を挙げている。
大正14年6月神戸のカフェークロヴァーで「第一没落期作品展」を行い、前後の関西滞在記を『マヴォ』に寄稿
・同年11月神戸のカフェーブラジルにおける萩原恭次郎『死刑宣告』出版記念会に出席
・大正15年9月京都青年会館において岡田龍夫、高見沢路直(田河水泡)と共に「マヴォ創作舞踏発表会」で踊った
昭和2年2月『MaVo染織図案集』(京都のマリヤ書房*2刊)に作品を寄せて序文を執筆
・同月大阪タカヤ*3・キャンデーストアで「第一回形成芸術協会展」に出品
 牧は『マヴォ』自体には、5号,大正14年6月から7号,同年8月まで寄稿している。このうち7号の《平凡な劇場草案》が五十殿ほか『大正期新興美術資料集成』(国書刊行会、平成18年12月)に出ていて*4、「あっ、滝沢真弓の《山の家》だ」と思った。五十殿先生も、牧自身がグリヤコフなる不詳のロシア人舞台装置家の構想に基づくとしているのに対し、むしろ《山の家》(大正10年)*5のパロディに近い表現派風のものであるとしている。牧は分離派建築会作品展を観ていたのかもしれない。
 グーグルブックスのお陰で、五十殿先生が言及していない文献を見つけた。『近代歌舞伎年表京都篇』8巻(八木書店、平成14年3月)記載の昭和2年5月25日付け大阪朝日新聞京都滋賀版である。これによると、近代劇研究会主催の舞台美術展覧会が5月23日から26日まで河原町三条上ルのカフェーももいろで開催され、「日活出品の映画衣裳『椿姫』と『五人女』の牧寿雄氏設計の十点は、映画界新機軸を出したものだけに従来の演劇衣裳とは全く別の効果を示してゐる。舞台模型五点中牧寿雄氏設計の『森林開拓者』は去る二日ベルリンで上演された日本人倶楽部の表現派劇で、真紅のホリゾントをいかに効果的に使ってゐるかといふ点で傑出した作品である」とある。専ら牧に注目した記事となっている。
 このような牧だが、五十殿先生も『増補改訂日本アナキズム運動人名事典』も生没年不詳としている。京都では、「京都の織染界の新人」若松清一と「芸術運動の急進派村山知義、牧寿雄、吉田謙吉氏等」による織染芸術連盟を結成する*6など染織界で活動しているので、京都工芸繊維大学の先生方が調べたら解明できるのではないだろうか。どなたかチャレンジしてほしいものである。
追記:松本淳三『二足獣の歌へる:処女詩集』(自然社、大正12年3月)の装幀が牧寿雄である。同一人物だとすると、確認できる最初期の活動となる。その他、前田河広一郎『赤い馬車:創作』(自然社、大正12年12月)や江原小弥太『我が人生観』(越山堂、大正13年4月)も牧寿雄の装幀である。

*1:竹村民郎・鈴木貞美編『関西モダニズム再考』(思文閣出版、平成20年1月)所収

*2:正しくは、マリヤ画房。表紙及び奥付に「マリヤ画房」とあるが、印刷兼発行者が「元美術記者神崎憲一が発行した『アートグラフ』創刊号(マリア画房、昭和26年)ーーマリア画房の高野敏郎と新京の大陸美術社もーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した高野敏郎なので、「マリア画房」の誤植と思われる。

*3:正しくは、「カタヤ」か。

*4:冒頭の写真の右側

*5:第2回分離派建築会作品展に出品。冒頭に挙げた写真の左側。ただし、『分離派建築会の作品第二』(岩波書店、大正10年10月)掲載のものではなく、『分離派建築会100年:建築は芸術か?』(朝日新聞社、令和2年10月)に掲載された昭和61年再制作のもの

*6:五十殿先生によると、『京都日出新聞』大正15年10月20日掲載