神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

栗田英彦論文が『近代京都の美術工芸』(思文閣出版)に出てくるぞ

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並木誠士編『近代京都の美術工芸ーー制作・流通・鑑賞』(思文閣出版平成31年3月)所収の中尾優衣「雑誌にみる近代京都の美術工芸ーー黒田天外の『日本美術と工芸』をめぐって」を読んでいたら、ビックリ。

振り返ってみると、黒田が仏門に入る兆しは、いくつかの文章からうかがえる。真言宗の専門誌である『六大新報』には、『京都日出新聞』に掲載された黒田の済世病院訪問記が転載されている。済世病院は真言宗の慈善病院として東寺に設立され、岡田虎二朗[ママ]が始めた心身療法「岡田式静坐法」が、院長の小林参三郎によって治療に応用されていた(22)。『六大新報』では、黒田が小林院長を人格者として評価している様子が垣間見える。黒田が早くから呼吸法による心身修養に関心を抱いていたことは、『京都美術協会雑誌』に掲載された「芸術を攻むる者は養気の法を知らざるべからず(上)・(下)」(第七七・七八号、一九[ママ]八八・八九年)や、『日本美術と工芸』の記事「一気の盤旋」(第二・四号、一九一一・一二年)から確認できる。

小林参三郎の済世病院が出てきますね。そして、注22は、

栗田英彦「国際日本文化研究センター所蔵静坐社資料ーー解説と目録」(『日本研究』第四七号、二〇一三年)二三九~二六七頁。

栗田論文キター\(^o^)/
小林や栗田論文については、「京阪書房で小林参三郎『生命の神秘』を買ったら『京都新聞』に「静坐社」の記事が - 神保町系オタオタ日記」参照。「黒田」は黒田天外で、中尾氏によると、慶応2年生まれ、『京都新聞』の前身にあたる『京都日出新聞』や美術雑誌を中心に活躍した美術記者で、『名家歴訪録』などの訪問録がライフワークとも言える仕事であったという。そして、明治44年10月に自ら雑誌『日本美術と工芸』を創刊したが、明治45年親子で高野山に剃髪入山するため、わずか6号で終刊となったという。
近代の京都に関する本ではあるが、まさか小林参三郎の済世病院や妻小林信子の静坐社を扱った栗田論文が美術工芸の本に出てくるとは、まだ暑さの残る京都で驚いたことであった。

近代京都の美術工芸ー制作・流通・鑑賞ー

近代京都の美術工芸ー制作・流通・鑑賞ー