神保町系オタオタ日記

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京都のオカルト書店?関書院の関為之祐と兄の社会学者関與三郎

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京都のオカルト書店というと拙ブログの読者の多くは、人文書院の前身日本心霊学会を挙げる人が多そうだ。しかし、「『京都人物山脈』(毎日新聞社)に万屋主人金子竹次郎 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した『京都人物山脈』(毎日新聞社、昭和31年12月)の「出版」によると、もう1店挙げてもいいかもしれない。

一風変ったところを拾いあげると「関書院」の関為之祐(六七)が業界の古老的存在。昔の神戸高商出身で永年大阪YMCAで英作文の教師をしていたが戦後京都に移住して社会学、商業英語などの出版をはじめた。アゴに白髪をたくわえ一見易者風。事実”心霊学“という珍しい研究に打ち込んでいる。過去に僧籍に入り、あるいはキリスト教に関係し、現在は神道を信仰しているというからややこしい。

為之祐は心霊学を研究していたらしい。この記事では、戦後に出版業を始めたように読めるが、実際は戦前大阪で「青年通信社」という出版社を経営していた。同社から昭和18年に発行した楳垣実『日本外来語の研究』を復刊した研究社出版(昭和38年7月)版の「はじめに」には次のようにある。

出版社だった関為之祐(せきためのすけ)氏は、大阪で戦災をうけてから京都へうつって、青年通信社を関書院とあらため、出版事業をつづけていた(略)関さんは一風変わった出版者でもあり、この書物の出版にはいろいろ世話にもなったので、その恩義は忘れられなかった。不幸にも関さんは、1961年の夏病気のため71歳でなくなられて(略)

『京都人物山脈』で紹介されてから間もなく亡くなっていたことになる。「国会図書館サーチ」で青年通信社や関書院の本を検索すると、金子白夢の『無門関の新研究』(青年通信社、昭和18年12月)*1や『詩と宗教の交流』(関書院、昭和22年10月)など、金子の著書を数冊発行していたことが確認できた。金子は、「小倉時代の森鴎外とメソジスト派牧師金子白夢の交流 - 神保町系オタオタ日記」などで紹介したが、モダニズム詩人折戸彫夫の父でメソジスト派牧師だった注目すべき存在である。また、関書院からは、パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生・聖者ヨガナンダの自叙伝』(昭和34年)という本も出ている。心霊学ではないが、多分ヨガは店主の趣味だったのだろう。その他、春木蘇陽『阿蘇高天原』(関書院出版、昭和32年)という本もある。
さて、実は為之祐よりも兄の方が多少知られた人物であった。川合隆男・竹村英樹編『近代日本社会学者小伝:書誌的考察』(勁草書房、平成10年12月)に立項されている。そこから要約しよう。

関與三郎 せき よさぶろう
明治15年 富山県高岡市生。弟に後に関書院主となる為之祐、社会学者となる栄吉がいる。
明治39年 早稲田大学文学部哲学科卒。同期生に杉森孝次郎、片上伸、野尻抱影会津八一、村岡典嗣など。一期下に早稲田大学講師(のち教授)であった石橋湛山がいた。東京高等工業学校教授、田中王堂に強く影響を受ける。
大正2年 早稲田大学教授
大正9年ー11年 ドイツ留学。特にW・ヴントの『民族心理学』、そしてデュルケーム、レヴィ=ブリュール、A・ショーペンハウアー、ジョージ・サンタヤナなどの研究や思想にも深い関心を寄せ研究していた。
昭和19年 没

「霊魂観念、呪術、神話、「うらなひ」などの考察を試みた」ともあるので、兄の方がオカルトっぽいね。「大正期早稲田大学の三大オカルト教師 - 神保町系オタオタ日記」で言及したが、戦前の早稲田には変わった先生がいたが、與三郎も要精査である。
ところで、「関為之祐」でググったら、ヒット。誰だろうと思ったら、「生方敏郎肝入りの生方会と石橋湛山 - 神保町系オタオタ日記」で拙ブログであった(^_^;)ネットで知り合った人にリアルでも会うと、「検索すると、大抵あなたのブログがヒットした」と言われるが、確かに無名のちょっと変わった人物を調べようとしたら「神保町系オタオタ日記」に到達するかもしれない。

*1:国会図書館サーチに発行地が東京とあるのは、誤り