三村竹清の日記には、稀に柳田國男が出てくる。大正14年11月23日の条もその一つである。
八王子にて大義寺を尋ねて元横山町を曲れは かなたより洋服きたる二人連来る 見覚えありつるやうに思ひ近より見れは 柳田國男氏也 不しきの処にてといへは この西洋人か田舎を見たしといふまゝに 丁度こゝまての汽車ありけるまゝに来りし也と云 わかれて大義寺へゆく
この西洋人だが、ニコライ・ネフスキーではないと思う*1が、そうすると誰だろう。
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