神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都の上野、岡崎にもあった博物館ーー平瀬與一郎の平瀬貝類博物館ーー

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「もし京都が東京だったらマップ」というのがネットで話題になり、本になったことがある。デパートのある四条通りは銀座、京大を有する吉田は本郷だそうだ。美術館、動物園、図書館がある岡崎は、上野だ。しかし、上野とは違って岡崎には博物館がない。ところが、大正時代に平瀬貝類博物館という貝類専門の博物館があった。
平瀬貝類博物館については、LIXILギャラリーの企画展「ニッポン貝人列伝/時代をつくった貝コレクション」でも取りあげられた。図録によると、平瀬與一郎によって、大正2年3月に開館。しかし、財政難で大正8年には閉館したという。平瀬については、Wikipediaに立項されているので、それを見られたい。クリスチャンで、貝類と関わるきっかけは、宣教師で同志社大学において博物学等を教えていたマーシャル・ケインズと宣教師で貝類の研究者だったジョン・ギュリックとの出会いだったという。6年ほどの短期間で閉館になった平瀬貝類博物館だが、伊良子清白が観覧していた。

(大正七年)
六月十日 月曜 (略)岡崎公園より平塚貝類博物館にいで一時間ばかり見物したる後かへる(略)
七月十八日 木曜 (略)午後より滋杪さんに子供らを大極殿平塚貝類館インクライン南禅寺永観堂等につれていつて貰ふ(略)

「平塚」は原文のママである。大人が5銭、子供が3銭の料金であったという。貝類専門の博物館だから、1回見たら2度3度行く人はほとんどいなかっただろう。短期間しか開館できなかったので、伊良子のように日記に観覧の記録が残るのは極めて稀だろう。
なお、写真は奥谷喬司監修『ニッポン貝人列伝:時代をつくった貝コレクション』(LIXIL出版、平成29年12月)から。原典は『平瀬貝類博物館写真帖』(平瀬介館、大正4年)。

ニッポン貝人列伝  時代をつくった貝コレクション (LIXIL BOOKLET)

ニッポン貝人列伝 時代をつくった貝コレクション (LIXIL BOOKLET)