
名雲書店の目録『ニュースボード』第155号(令和7年2月)に、山田市蔵宛竹久夢二書簡が2通(66万円)出ていた。大正13年6年28日及び大正14年?10月28日消印である。しかるべき機関に納まっただろうか。説明には、次のようにある。
『夢二書簡』(長田幹彦[ママ]編/平成三年刊)ニ二通トモ収録サレテイナイ*1。
山田市蔵=(明治三三年~昭和五八年)、夢二ノ名作名品ノコレクタートシテ名高イ*2。大阪府堺市濱寺の名家ニ生マレ、夢二ト知人デアッタ實兄山田種三郎ヲ介シテ知遇ヲ得テ、夢二ト旅シタリ市蔵ノ自邸ノ庵名「白日園青夜居」ヲ夢二ニツケテモライ夢二ガ山田家ノタメニ制作シタ作品ガ數多ク實ニ親シク交流シタト云ウ。
これで、思い出すのが「南洋新占領地へ修学旅行に行く山本宣治から三高同級生山田種三郎宛絵葉書ーー坂野徹『〈島〉の科学者』(勁草書房)への補足ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した種三郎宛山本宣治葉書を古書柘榴ノ國で買った時におまけに貰った種三郎・市蔵宛葉書である。50通ほどあって、そのうち8通が市蔵宛である。もちろん、店主が夢二からの物が含まれていないか調査済みだし、私も知っている差出人がいないか調査済みである。私にとっては未知の人名ばかりなので、積ん読本の中に長らく埋もれていた。しかし、今回掘り出して精しく調べることにした。
先ずは、種三郎の経歴である。国会デジコレで読めるStudies on a peculiar oscillatory movement ~に経歴が載っているので要約しておこう。なお、「山田市蔵氏寄贈本」とある。
山田種三郎
明治28年5月1日生
大正2年 大阪府立堺中学校卒業、中学時代既に昆虫採集、植物採集などに熱中
大正6年 第三高等学校二部乙類卒業、三高時代盛に貝類を蒐集し、殊に陸産貝類を熱心に採集研究
大正9、10年の両年 京都帝国大学理学部助手となり、池田(岩治)教授の下に動植物学教室開設の準備に当たる
大正10年 カタヤマガヒの生殖腺及びタニシの二型精子を研究、同年3月京大理学部動物学科に入学
大正12年6月~ 川村(多実二)教授指導の下に昆虫生理学を専攻し、卒業論文として「機械的刺激に対するキリギリスの第三歩脚の振顫反射運動に就て」研究
大正13年 同学科卒業、引き続き大学院に入る
昭和2年3月19日 没注 ( )内は、引用者による補足
若き日には貝類に沼った時期もあったが、専攻は昆虫の方に進んだことになる。同書には、蒐集した貝類の一部は台湾[ママ]帝大生物学教室所蔵とあるので、貴重な貝類もあったのだろう。なお、5月6日まで大阪市立自然史博物館で開催された「貝に沼るー日本の貝類学研究300年史ー」を観てきたが、種三郎は出てこなかった。当たり前か。
8通の市蔵宛のうち、7通が兄種三郎からと思われる。種三郎宛葉書の方の差出人には、投書家の名前が数名あった。最も著名な者は、増田利芳(号莎水、石上麿。昭和36年没)と思われる。浪華青年文学会(のち関西青年文学会)や神戸陳書会に属した人物で、大阪朝日新聞、神戸新聞の記者を務めた。また、『昭和前期蒐書家リスト:趣味人・在野研究者・学者4500人』(トム・リバーフィールド、令和元年11月)には、「歴史、伝記」の蒐書家として登場する。詳細は調査中なので、別稿にしよう。更に、種三郎も投書家だったのではないかという気がするので、その方面の調査も必要である。
