神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「やればできるじゃないか、ミスター・ヘリング」と林哲夫画伯言いーー『追想森勝衛』を拾うーー

岡崎にブックス・ヘリングと言う古書店がある。書物蔵さんやかわじもとたかさんを御案内したことがあるが、東京の古書店を行き倒したお二人にして「案内してもらった京都の古書店の中で一番気に入った」とか「東京にはもうこのような店はない」と感心しておられた。店名のヘリングは魚のにしんの英名Herringから採られたらしい。店主は画家の林哲夫さんのそっくりさんと噂になったことがある。よく見れば実はそれほど似てはいないのだが、雰囲気は類似したものがある。私はてっきり、ヘリングさんも美術関係の人かと思っていたが、最近出た『なごみ』に載っていた紹介記事に先斗町のバーの元マスターとあって驚いた。
さて、林さんのブログ「daily-sumus2」の平成29年8月2日分にヘリングの均一台について「やっと店頭の均一台にいい本を出し始めた」とか「その気になればできるじゃない」と書いている。その後私も行って均一台から『追想森勝衛』(追想録森勝衛刊行委員会、平成2年5月)を100円で見つけた。森は戦前大阪商船の外国航路の船長だった人で、今東光の父武平みたいに船長にして神智学の信者だったら面白いなあと一応買ってみた。目次を見ると、執筆者に秋山さと子大島渚、そして由良君美の名前が。そう言えば、買う時にヘリングさんが「色んな人が書いてますね」と言っていたから、由良が寄稿していることを知りながら均一台に出していたんだ。畏るべしヘリングさん。
年譜を要約すると、

明治23年 熊本県鹿本郡桜井村生まれ
  42年 松村介石を訪ね、道会に入門
大正3年 商船学校を卒業、大阪商船会社に入社
昭和元年 ヴァン・デル・ポストとウィリアム・ブルーマーをのせ帰国
  13年 大阪商船退社
  17年 新南興業会社専務取締役就任、セレベス島マカッサルで木造船建造に従事
  21年 マカッサルより帰還
平成元年 没

映画監督大島渚がなぜ寄稿しているかというと、その「森船長と『戦場のメリークリスマス』」によれば、

八重洲ブックセンターでなんとなく『影の獄にて』を手にとったのは一九七八年の暮れだった。そして由良君美教授の感動的な「あとがき」で著者と森船長の奇しきえにしを知る。(略)
三十五歳の森船長が若きロレンス・ヴァン・デル・ポストとウィリアム・ブルーマーに対して身をもって示された友情と好意は日本人の枠をはるかに超えるものであると同時にありうべき理想の日本人の姿を体現したものであった。(略)
戦場のメリークリスマス』の種子は若きロレンス・ヴァン・デル・ポストが森船長に会った一九二六年に蒔かれていたのである。私は何が何でもこの映画をつくりたいと思った。(略)

映画『戦場のメリークリスマス』はイギリス軍に志願したロレンスが日本による開戦後インドネシアで収容されていた時の話を元にしたものだが、ロレンスを昭和元年に日本に連れてきたのが森船長だったわけだ。私は『戦場のメリークリスマス』はテレビで見ただけで、原作が実話だったとは知らなかった。軍曹役のたけしの記憶に残るセリフ「メリークリスマス、ミスターロレンス」、あのロレンスだ。「日本の古本屋」では本書の古書価はさほど高くない。しかし、平成2年8月に亡くなる直前の由良の寄稿があることやミスターロレンスを日本に連れてきた森船長の追悼本だから、これもひねって古書価がアップしてもよさそうだ。ヘリングさんの均一台には今後とも期待しておこう。
なお、森船長は神智学とは関係がなかったようだが、桑野福次「求道の先輩森船長」によると、

森さんが道会に入った頃が、介石先生の説教活動の最も盛んな頃で、日曜日の講演会場は常に聴衆が外に溢れ、多くの学校には「道の会」が作られて、帝大の大川周明、早稲田の橋本徹馬、商船の森勝衛、慶応の香山吉助は松村門下の四天王と呼ばれたりした、と森さんは呵々大笑された。

とあった。