神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

舞踊詩人石井漠と池田威の『文藝新報』(大正15年創刊)


 正直言って、石井漠についてはかろうじて名前を知っているだけであった。そのため、池田威宛書簡群に石井漠・石井小浪*1舞踊詩講演会一行から大阪講演で世話になったことへの印刷文の謝辞と共に、漠の署名(大正15年12月20日付け)があっても特に重視していなかった。

 ところが、「日本の古本屋」に池田宛漠の葉書を見つけて、その内容に驚いた。2枚あって、中島古書店出品分(売り切れ)は、康徳7年(昭和15年)6月20日付けである。文面には、ハルビン行きの列車に乗っていて、8月1日からノモンハン方面に行き同月中旬帰京予定であること、モダン日本の方をよろしく云々、手紙は新京関東軍司令部副官邸気付になどとある。驚くのは、宛先が自由ヶ丘の石井漠舞踊学校内池田宛であることだ。池田が何故学校にいるのだろうか*2。石井歡*3『舞踊詩人石井漠』(未来社、平成6年6月)には、昭和15年満洲行きについて記載は無かった*4
 もう1枚の風船舎出品分は、昭和13年1月12日付けのようだ。説明に「大阪在住の兄と慕う「池田威」という人物宛」で、文面には「兄の「冬着」が着きました」とあるらしい。『冬着』は、池田『冬着:短編小品集』(大阪書房、昭和12年11月)である*5。家蔵の同書は、高橋輝次氏よりお譲りいただきました。ありがとうございます。なお、「日本の古本屋」に署名本が3冊出品されていて、1冊は今中楓渓宛である。残りは誰宛だろうか。
 さて、最近池田が創刊した『文藝新報』の創刊号(大正15年12月)から第17号(昭和3年11月)までの揃いを入手した。アルカディア書房出品。以前検索した時は無かった気がする。池田の旧蔵品かどうかは不明。編輯印刷発行人は池田で、発行所は大阪市外石橋の雑草苑社内文藝新報発行所である。創刊号の「文藝消息」に「石井漠氏一行」として、「台湾より帰り十四、五日朝日会館に公演して帰京の予定」とある。これが冒頭で言及した漠が池田宛に礼状を送った公演だろう。第10号(昭和2年6月)は「石井漠号」で6月5・6日朝日会館で開催される「石井漠舞踊新作発表会」を話題の中心にして秋田雨雀、沖野岩三郎、谷崎潤一郎らが漠について語っている。なるほど、漠が池田を「大阪在住の兄」と慕うわけである。
 ちなみに、「池田威のネットワークに属した洋画家達ー向井潤吉、牧ハルナ、堀尾熊治ー - 神保町系オタオタ日記」で言及した向井潤吉の渡欧に関する「個人消息」も出ていた。
・第4号(昭和2年2月) 「今秋西欧へ発つことに決定[、]画会*6を作る。詳細は京都市仏光寺柳馬場西入向井才介氏へ」
・第9号(昭和2年4月) 「髙島屋図案部を辞し京都の自宅に渡欧の準備にかゝる」
追記:「ざっさくプラス」によると、『会館藝術』第5輯(朝日新聞大阪社会事業団、昭和7年2月)の「舞踏座談会」に、石井漠、竹内逸、高尾亮雄らが出席している。

*1:石井漠の妻八重子の妹

*2:追記:石井漠『私の顔:随筆』(モダン日本社、昭和15年8月)の「序に代へて」に編輯校正に当たって友人池田威の手を煩わせたことへの謝辞が述べられている。

*3:石井漠の長男

*4:追記:星野幸代『翼賛体制下のモダンダンス:厚生舞踊と「皇軍」慰問』(汲古書院、令和4年9月)143頁に「一九四〇年八月にも石井漠は大陸巡業に来て、満映の俳優たちに舞踊指導をしたという消息があり」とある。

*5:池田威『冬着』には、「成瀬無極先生に捧ぐ」とある。家蔵の池田宛書簡群で最も多いのが成瀬の書簡である。

*6:『向井潤吉展:心に残る絵筆の旅』(朝日新聞社文化企画局東京企画部、平成9年)の年譜昭和2年1月の条に「黒田重太郎、小出楢重、国枝金三、鍋井克之、中井宗太郎が発起人となって、向井潤吉渡欧画会をおこしたが、失敗に終る」とある。