神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治40年城崎郡役所前にあった豊岡印刷所ーー『兵庫県の印刷史』を読むーー

f:id:jyunku:20211206195808j:plain
 寸葉さん(シルヴァン書房の矢原さん)から500円で買った絵葉書がある。兵庫県城崎郡豊岡町の郡役所前にあった豊岡印刷所から国府村の古田医院宛に送った明治40年の年賀状である。だいぶ前に買ったもので、なぜ買ったのかも覚えていない。書砦・梁山泊京都店で買った『兵庫県の印刷史』(兵庫県印刷紙工品工業協同組合・兵庫県印刷工業組合、昭和36年6月)を見たが、神戸市中心の記述で、城崎郡の印刷所についての記述はほとんど無かった。
 同書63頁には、明治30年に発足した城崎郡日高町の福富印刷所について言及がある。また、大正期については、74頁に

 但馬地方は、明治のころ印刷の起った出石、村岡、浜坂、江原、生野のほか、豊岡、朝来郡和田山、竹田、城崎郡城崎、香住、養父郡八鹿、美方郡湯村などにあいついで印刷を業とする者を輩出したが、その消長を明らかにする資料に乏しい。

とあるだけである。なお、巻末に組合の加入者名簿があって、豊岡市の豊岡印刷株式会社(代表者・橋本芳春)が出ていた。ホームページ「豊岡印刷株式会社 | toyoin 豊印商事 豊岡印刷」を見ると、国会図書館所蔵の『豊岡案内』(但馬新聞社編輯部、大正元年10月)にリンクされていて、豊岡町にあった橋本印刷所が前身で、絵葉書の豊岡印刷所とは無関係であった。
 『兵庫県の印刷史』126頁にマッチラベル収集に関する面白い記述があったので、引用しておこう。

 燐票の収集は、明治三十五年に全国的な流行をみた。燐枝錦集会という組織は、三十六年に東京で、福山碧水、早川中康などが主唱してつくられたもので、各地に支部ができた。そのメンバーには、新聞関係では報知の水谷、日本の近藤、都の富田、毎夕の村田など、また芸能人としては柳川一蝶斎、桂文楽、柳川貞一、市川庄喜之助、新橋清川家のすみれなど、さらに民俗研究家の柳田国男や酒井伯爵なども加わっており、あらゆる階層の人が趣味を通じて結ばれたものであった。
 一方関西には、大阪の五四会、神戸の互楽会などが有名で、互楽会は、神港倶楽部や金比羅倶楽部で展示交換会を開いていたという。