神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治34年荻原井泉水の家に出現した不思議な書棚

『井泉水日記青春篇』上巻(筑摩書房、平成15年11月)を読んでると、書棚製作の記録があった。戦前の日記で書棚製作に関して書かれたものは珍しい。

(明治三十四年)
九月六日 曇り、屡驟雨アリ
(略)書籍立をもとむ。これより先き萩清勧工場に入りてこれをもとめしに五六ありたれども其の幅に故障ありて他日を期して去り(略)
九月七日 晴雨互迭シテ至レリ
(略)大工「松さん」きたる。予書棚を三階(蔵)に作らむとて呼びたるなり。書物をしらべこれを大判、四六版(菊版)、小判、袖珍の四種にわかち、三階にゆき大工に指図して八架をつくり、右の四架には菊版のみを入るゝやうにし左の四架のうち一架は大判、三架は小判をいるゝ様の幅に作りおきくれよと見本を置きて命じ置き、予はサンダウ*1し(略)これより先き本箱の寸法をとりて萩清勧工場に行き久太郎をして書立(ルビ:ホンタテ)をかはしめたり。(略)
九月八日 晴、驟雨あり
(略)今日も大工書架をつゞきて作りしが正午出来せりと告ぐ。即ち行きて見、叔母に其の掃除を依頼し予は其の各函(一より八にいたる)の蓋(ルビ:フタ)に第何函なる文字を大書す。各函に従つて入れるべき書物を分類し、源太郎をして其の書籍をつゝみて三階にもちゆかしめ指定の函の中に入れしめ、終りに予行きて検しよく各函の書籍をそろへて入れたり。第七函は予が大工に命ずるときの誤にて蓋(ルビ:フタ)がうまくたゝざるなり。庄三郎きたり立てんとこゝろむ。漸くおさへおきたり。日暮るゝ頃までに菊判及び小判の書籍は皆分署しをはれり。これより先き大工をして奥の二階なる庄三郎の作りし書架に袖をふせしむ。(略)
九月九日 晴
(略)書籍をつゞいて片付く。雑誌の処置にはくるしみしが「少国民」「少年世界」の如く頗る幼年期のものにして爾後繙くことのまれなるものに限り第十三函(線香明箱)に入れ、其の他のものは暫時所属函未定として第一より第八にいたる八函中に仮入しをけり。(略)

明治34年9月7日の記述を読むと大工が八つの本棚を作り、勧工場ではブックエンドを買ったと思っていると、翌日の記述では八つの蓋付きの函になっている。函にしまうのなら本の大きさによって袖珍を除き3種類に分ける必要も少ないし、ブックエンドも必要なさそうだ。蓋を立てるという記述もあるので函を水平に置くのでなく、函を立てて、蓋が前面を向くという状態だろうか。井泉水の家の3階の書棚をどのように想像したらいいのかよくわからない。明治期の書棚に関する文献はあるかのう。

*1:明治34年4月30日春祥堂で『サンダウ体力養成法』を購入して以来実践していた。