神保町系オタオタ日記

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なにわ古書肆鹿田松雲堂と小中村清矩

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『小中村清矩日記』(汲古書院、平成22年7月)に大阪にあった古書肆鹿田松雲堂が出てくる。

(明治廿七年十月)
十一日 晴。
(略)午後石田来る。同道にて市中遊歩。鹿田といふ古本屋にて古書三四種求め、夫より書林松村行(これハ新刻本の問屋成)。(略)

国学者貴族院議員の小中村は、日清戦争開戦に伴い広島臨時仮議事堂で開催される帝国議会に出席する途上で、大阪に泊まっていた。「石田」は同月10日の条に「西堀に住める石田道三郎」と出てくる石田道三郎で、『新撰国文』全6冊(教育書房、明治27年)の著書がある。「鹿田」は鹿田松雲堂。四元弥寿『なにわ古書肆鹿田松雲堂五代のあゆみ』(和泉書院平成24年11月)によれば、2代目靜七の時代で明治23年5月大阪初の古書目録『書籍月報』創刊、26年安土町4丁目に転居していた。小中村が鹿田で買った本は、同月26日の条でうかがえる。

(明治廿七年十月)
廿六日 雨。
昼より車を命じて烏丸通なる田中勘兵(衛脱カーー編者注)を訪ひ、大阪にて求めたる承久三年の古文書及親長記抄録(大嘗会条)古版本をミす。(略)

明治28年にも鹿田松雲堂へ行っている。

(明治廿八年四月)
十五日 快晴。風寒し。
(略)予ハ安土町鹿田店行、古書さま“/\をミる。中に小田清雄(いにし月歿せり)の遺本あり。因て廿四種を購ふ。(略)夜石田・橋本来る。鹿田本店の者来て辞書の序をこふ。断て帰す。(略)

小中村が序の執筆を断った「辞書」は、三田村熊之介『日本語辞書』(松雲堂、明治28年5月)だろうか。
鹿田松雲堂というと古書目録『書籍月報』(明治42年4月『古典聚目』に改題)が著名だが、小中村が目録買いをしていたのかは、確認できなかった。蔵書に蔵書印を押していたという記述はある。

(明治廿五年八月)
十四日 晴。日曜
曝書。○雑志調。(略)〈頭書き〉蔵書印なきハ捺し、目録ニ脱たるハ加ふ。

小中村の蔵書印は「陽春廬記」「東洲文庫」「やすむろ」の3種類あったようで、幸い国文学研究資料館の「NIJL 蔵書印データベース」で見る事ができる。
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