神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

中学生だった寿岳文章の心をとらえた東枝書店ーー東枝書店の『図書総目録』(大正2年)から見るーー

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中島俊郎先生に御恵与いただいた『向日庵』3号(特定非営利活動法人向日庵、令和2年1月)の佐藤光「寿岳文章ウィリアム・ブレイク研究」に東枝書店が出てきた。寿岳「ブレイク研究への序説」『ブレイクとホヰットマン』1巻1号,昭和6年が初出で、

私の追憶は、私の中学時代へ遡る。播磨の山奥から京都へ出てきた少年の心をいち早く捕へたものは、書店の存在であつた。私の足は殊に屡々烏丸仏光寺を東に入つた所にある東枝と云ふ書店へ赴いた。当時その店は最も敏速に新刊の書物を取り揃へてゐたかと思ふ。大正三年の夏のある日、私の眼はその本屋で薄茶色の紙表紙に包まれた雑誌‘未来’の第二輯に釘づけされた。(略)

真言宗立京都中学(洛南高校の前身)に編入学した寿岳の心をつかまえたのは、「夢見る京都の昭和図書館と東枝書店の東枝吉兵衛 - 神保町系オタオタ日記」や「東海堂書店のPR誌『図書雑誌月報』の昭和5年新年号『新刊雑誌名著書籍目録』 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した東枝書店だったのだ。手元にこの頃の東枝書店の『図書総目録』(大正2年1月)がある。昨年の下鴨納涼古本まつりで玉城文庫から3冊500円で買った1冊。「新刊月報 一月号 臨時増刊」とあるので、この頃は東海堂書店の『図書雑誌月報』を使わずに、自ら月報を出していたことになる。
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東枝書店は地方の読者に特待券を発行し、特待者は毎月送られる『新刊月報』から注文すると、定価の1割引きと送料で書籍・雑誌が買えたようだ。地方にはまだまだ書店が少なく、都会の新刊書店に目録から注文する人が多かったのだろう。そう言えば、西川誠光堂から伊良子清白に日夏耿之介『明治大正詩史』が届いた - 神保町系オタオタ日記」で三重県鳥羽の伊良子清白が京都の新刊書店西川誠光堂から本を取り寄せていたが、これも目録注文だったのかもしれない。
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目次を挙げておく。神学(神道のこと)から雑誌まで。分類は、割とWikipediaに挙がっている「山口県立図書館分類表第2次区分表」に近いので、当時の図書分類に準じているのかもしれない。
「書目編纂の苦心と其の特色」に「一々出版元に尋ね品切物、不評判物、等全部引去り最も完全無欠の図書目録となせり」とあり、「最も敏速に新刊の書物を取り揃へて」寿岳の心を掴んだ東枝の気構えがうかがえる。後の英文学者・書誌学者寿岳文章を生み出す契機の1つであった東枝書店。『京都書肆変遷史』(京都府書店商業組合、平成6年11月)によれば、大正8年事業拡張に伴い、事業別に(株)東枝書店、(資)東枝新聞店、(株)東枝洋紙店と法人化し、最盛期を迎えたという。
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