神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

井田太郎近畿大学准教授「コレクターと収集品」(大阪古書組合講演会)への補足

12月18日大阪古書会館で開催された井田太郎近畿大学准教授の講演会「コレクターと収集品ーー紀文書簡から稀書複製会叢書までーー」を聴いてきました。江戸会、同方会、集古会から稀書複製会に至るコレクター群像の流れ、ネットワークの広がりは山口昌男内田魯庵山脈』を愛読した私には馴染み深いコレクターが多く楽しめた。
さて、井田先生が不明とされていた点について私が調べて判明したことを補足しておこう。
・稀書複製会の主事だった山田清作の生没年
山田については『坪内逍遙事典』(平凡社、昭和61年5月)に立項されていて、明治8年生、昭和21年没である。
・武井豊の経歴
大正7年11月稀書複製会主催の稀書展覧会に『風俗問答』、『馬糞夜話』、『絵直集』など*1を出品した武井豊の正体だが、『出版文化人名辞典』第3巻(底本:『現代出版業大鑑』現代出版業大鑑刊行会、昭和10年8月)に同名の人物が立項されている。要約すると、

信義堂 武井豊
明治14年2月14日生、長野県出身
・先代が現在地(日本橋区蛎殻町)で新古本及び和本の小売店を経営していたのを継承。
明治36年頃から出版にも進出。株式期米等に関する専門書肆として知られている。
・大正15年頃下位春吉の『魚雷の背に跨りて』、『大戦中のイタリヤ』等を出して好評を博した。
・浮世絵に関して一隻眼を有し、各種の貴重な物を豊富に蒐集。
大正6年頃吉田一松と相版で広重の東海道五十三次の改訂版を出版して世上を驚かせた。

コレクターであることや同じく出品者である吉田吉五郎や吉田久兵衛(浅倉屋)ら書肆と同業で同一人物の可能性は高いが、同定する決め手はない。
・樋口二葉
稀書複製会編『稀書解説』の執筆者の一人である樋口については、「謎の樋口二葉」、「謎の樋口二葉(その2)」などで言及したことがあるが、私にもよくわからない人物である。

内田魯庵山脈―「失われた日本人」発掘

内田魯庵山脈―「失われた日本人」発掘

*1:稀書複製会編『諸家珍蔵秘書解題』(米山堂、大正8年2月)参照。