神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

堺利彦と島中雄三の文化学会

文化学会という団体は、詳細不明だが、大正8年島中雄三らにより創立された。堺利彦の翻訳で刊行されたエドワード・べラミー『社会主義の世になったら』(文化学会出版部、大正9年4月)によると、発行兼編輯者は、「小石川区小日向台町二ノ一九 文化学会代表者島中雄三」。巻末の「文化学会々員」には49人の会員の名前があがっている。そのうち、一部をあげてみると、

安部磯雄、麻生久、平塚明子、帆足理一郎、馬場孤蝶、本間久雄、井箆節三、生田長江石橋湛山、石田友治、小泉信三、三浦銕太郎、三浦関造、室伏高信、森戸辰男、中山啓、西川光次郎、西川松子、岡悌治、野村隈畔、小川未明、大庭柯公、島中雄三、下中弥三郎杉森孝次郎高橋誠一郎、土田杏村、内田魯庵、植田好太郎、山田わか、与謝野晶子、与謝野寛

このうち、井箆節三、石田友治、島中雄三、下中弥三郎、岡悌治の5名が幹事である。この他、何盛三と共に、同学会に入会した満川亀太郎の『三国干渉以後』によると、鷲尾正五郎、横関愛三(ママ)、横田英夫、宮地嘉六が会員だったという。堺と親しかった人物の名前も多いが、堺が会員だったとは確認できない。

(参考)・大正8年6月20日付東京朝日新聞によれば、文化学会第一回講演会は、神田青年会館で開催。下中の開会の辞のほか、安部、石橋、帆足、高島米峰、長瀬鳳輔の講演。
大正8年10月27日付読売新聞の「よみうり抄」には、某富豪より出資を得て、岡、島中、井箆、昇曙夢が幹事となり、学界の諸名士を会員とし、社会制度、経済学等の最新学説の翻訳を紹介するため、最近できた学会とある。
大正8年12月15日付東京朝日新聞の「本日の集会」には、同日神田青年会館における文化学会宣伝講演として、安部、野村、植田、井箆の名がある。

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