神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

筑摩書房会長古田晁の死

『噂』昭和47年5月号所収の座談会「新宿ハーモニカ横丁紳士録」には、「みち草」(小林梅)、「ととや」(安藤りか)、「お龍」(木村美弥)、司会巌谷大四が出席。

巌谷 いちばんの大酒飲みというのは、だれでした?
安藤 筑摩書房古田晁(現会長)さん。自分も飲むけど、人に飲ませるのがうまくて、いつも古田さんがみえると「みち草」さんなんかも、宵の口から酔っ払っちゃってね。

大酒飲みだった古田も昭和48年10月ラドリオで飲んでいる時に倒れ、その後亡くなっている。
草野心平は、日記に次のように書き、その死を惜しんだ。なお、「ワタル」は書生の長谷川渉、 「晒名」は晒名昇 (1937ー)で筑摩の編集者である。

昭和48年10月30日 朝食後ワタルからデンワで、古田晁の死を知る。二十九(ママ)日の夜中の一時にシンキンコウソクで死んだ由。(あとできくと晒名君、とても小生に知らせられないといって渉にかけ、小生に知らしてくれとのことだったらしい。)
茫然とする。今夜お通夜だそうだが、紀伊国屋の歴程賞授賞式があるので行けない。(明日密葬の由、明日出かけることにする。)
(略)
二の宮へ電話する。古田夫人、「古田はずるいよずるいよ」という。オレも「そうだ、ずるい」という。涙がでて仕様がなかった。