神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『催眠術自在』(大学館、明治36年)の竹内楠三と神道雑誌『皇道』(済美館)


 3年前に栗田英彦先生から伊藤聡・斎藤英喜編『神道の近代:アクチュアリティを問う』(勉誠社、令和5年3月)を頂きました。ありがとうございます。栗田「明治二十年代の神道改革と催眠術・心霊研究ーー近藤嘉三の魔術論を中心に」掲載。楽しく拝読しました。『魔術と催眠術』(穎才新誌出版部、明治25年8月)等の著者で神職でもあった近藤嘉三(1863-1933)について、明治20年代の神道改革の流れに位置付けたものである。
 栗田論文174頁によると、近藤は明治28年から伊勢神宮に奉職したが、明治32年に『日本主義』に寄稿した「神宮と宗教」が物議を醸して神宮を去ったという。同誌は大日本協会の機関誌(明治30年5月創刊)で、井上哲次郎、元良勇次郎、木村鷹太郎らが中心メンバーで、『催眠術自在:学理応用』(大学館、明治36年3月)などで知られる竹内楠三もその一員であった。催眠術に関する著作を物した二人が『日本主義』に関係したというのが面白いですね。
 竹内の経歴は、たとえば栗田・塚田穂高吉永進一編『近現代日本の民間精神療法:不可視な(ルビ:オカルト)エネルギーの諸相』(国書刊行会、令和元年9月)330頁に次のようにある。

 竹内楠三(一八六七-一九二一)は、成田中学校長を勤[ママ]めた教育者であり、ドイツ語を中心とした語学教科書や倫理学や哲学の入門書を執筆している。竹内の催眠術書は、一九〇三-一九〇四年に大学館から立て続けに出版されており、第二期催眠術ブームは竹内の著作から始まったといっても過言ではない。
(略)

 最近、と言っても一昨年だが、この竹内がドイツ語で書き大正12年にドイツで出版された小説の翻訳が、片山杜秀先生の解説付きで刊行された。竹内著・岩下眞好監訳『真理探究者たち:ある日本人の対話と省察』(慶應義塾大学出版会、令和6年10月)である。竹内の小説が刊行されたことに驚くが、大正11年付けのヴィルヘルム・ゾルフによる序文にも驚く。

 竹内楠三は一八六八年五月十七日、伊勢地方のある村に農家の息子として生まれた。伊勢大神宮の社から遠からぬ場所である。(略)

 ゾルフは竹内に直接接したわけではなく、竹内と親しかった「服部氏」から聞いたようなので、従来の竹内の生年と異なるのは誤りと思われる。しかし、そういう説もあったというのが気になるところである。
 もう一つ、これは今月21日の平安蚤の市で南部堂の200円均一台から拾った『皇道』第44号(済美館、明治30年10月)に竹内の「国人教化ノ主義」が載っていた。国民教化の主義として、仏教、耶蘇教、儒教は不可として、日本国民に固有の主義である純神道、すなわちカムナガラの道がそれであるとしている。キリスト教の伝道師だったこともある竹内*1だがこの頃はガチガチの日本主義者だったようだ。

 『皇道』の目次を挙げておく。珍しい雑誌のようで、明治新聞雑誌文庫が第9、17~25、29、30号を持っているほか、豊橋市図書館が第1号(明治26年9月)~第46号(明治31年4月)のうち31冊を所蔵しているくらいか。池田寛親『船長(ふなおさ)日記』が第11号(明治27年9月)から第23号(明治28年9月)まで分載されたことで、知る人ぞ知る雑誌のようだ。「日本の古本屋」で古書ふみくら須賀川店が出品した第36、37、43、44、46号の5冊など7件すべてが売り切れている。集めている人がいるのだろう。
 編輯兼発行者である愛知県宝飯郡本茂村(現豊川市)の山本貞蔵については、鈴木太吉「船長日記と雑誌「皇道」」『愛知大学綜合郷土研究所紀要』第35号で、神職を業としていたようだが生没年不詳とされている。鈴木論文によれば、平田篤胤系の神道思想の強く出た雑誌で三河皇道義会の機関誌だったという『皇道』。「大日本協会『日本主義』『新天地』の基礎的事項と総目次」『人文×社会』第8号を纏めた木村悠之介先生に全貌を明らかにしていただきたいところである。

*1:『真理探究者たち』の片山杜秀解説150頁に、「今日の青山学院に学び、弘前での伝道生活を経て、一八八八(明治二一)年には秋田美以教会(秋田楢山教会の前身)の伝道師となりました」とある。