神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

廣瀬千香と秋庭太郎

廣瀬千香『思ひ出雑多帖』(日本古書通信社、平成2年7月)所収の「驪山荘 杉野・秋庭・相磯諸氏」によると、

杉野[喜靖]氏が日本大学の講師のころ、秋庭氏は同大学の図書館主任だつたと聞いてゐた。永井荷風伝の起草中で、資料の多くは杉野氏から提供されたらしいが、些かでも荷風の関連のある人々には、片ッ端から面接してゐたといふが、杉野氏が中立ちとなつて、私にもおはちが廻つて来た。(略)
初対面の秋庭氏は、まことに行儀正しく、軽口などきかない。といつて、厳しすぎる窮屈士でもなかつた。(略)
かつて、荷風葬儀の日、秋庭氏は杉野氏同道で、市川のお宅に赴いたが、たゞ近隣の人人と葬列を見守つただけであつた。生前、逢ひたければ機会をつくる事は容易であつたらうに、氏の信念は、さうさせなかつたものがあつたのではなからうか。世には荷風狂は、箒ではく程ゐる。なのに、それらを向ふに廻して一矢を放つたのは、秋庭の外に、何人ゐるであらうか?二[ママ]著が成るや否や、東京を去り、暫く関西にあつたが、サッと消えていつてしまつた。

秋庭はただの一度も荷風に会わなかった。荷風に直接聞かなければ解けない疑問もあったかもしれないが、あえて会わずに没後伝記を書くというのも、一つの見識だろう。

(参考)4月18日同月20日