神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

今日泊亜蘭の祖父水島慎次郎

水島爾保布を『昭和人名辞典第一巻』で引くと、

水島爾保布 漫画家 豊島区堀之内三三 [閲歴]本府慎次郎長男、明治十七年十二月八日生る。同丗九年東京美校卒業、大阪朝日、東京日日歴勤。帝展入選三回 [家族]妻幸(明一八)本府山室精三女 長男太郎(明治四三)上智大卒 二女豊能(大六)白百合高女卒

峯島正行『評伝・SFの先駆者今日泊亜蘭』(青蛙房、2001年10月)によると、水島の妻幸子は明治19年生、旧姓・名は山室福で、精の次女とあり、若干食い違いがあるが、峯島氏は今日泊に聞いたと思われるので、同書の記載の方が正しいと思われる。なお、太郎はSF作家今日泊亜蘭の幼名で、本名は行衛。

峯島氏の書によると、今日泊の祖父水島慎次郎は、佐倉藩の郡奉行出野家の次男で、今日泊の曽祖父に子がなかったので、水島家に養子に入った。鳶魚斉と号し、「文海字[ママ]典」、「難訓字典」など字典類を編纂。海軍省の嘱託として出仕、文書家の仕事をしたという。『難訓字典』は確認できないが、大正4年10月31日の東京朝日新聞朝刊の「出版界」に水島慎次郎編『漢和文海辞典』(文海堂)の紹介が出ている。国会図書館のOPACには、『大正新実用辞典』(成文堂、大正3年)、『現代新辞林』(成文堂、大正4年)が見える。

この慎次郎の名は、『学海日録』にも出てくる。

明治22年12月26日 水島慎次郎も来りて、某社の為に寄稿を請ふ。しかれども、余が文章は極めて時好に背きてよからずとて辞しき。この水島は旧佐倉藩の出野次郎兵衛といひしが次男なり。今書肆小林八郎が出版する教育といへる雑誌を編輯すといへり。

この当時学海指針社から『教育』という雑誌*1が発行されているが、慎次郎は同誌の編集をしていたのだろうか。

追記:依田学海の父も、佐倉藩士だ。

(参考)7月5日

*1:明治20年7月創刊の『学海之指針』を22年6月発行の24号から改題したもの。