神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東亜研究所の金森徳次郎


石射猪太郎の日記にも東亜研究所が出てきた。

昭和18年9月14日 ○大蔵[公望・東亜研究所副総裁]男来訪、東亜研究所に力をかして呉れとの相談也。


    9月17日 ○金森徳二[次]郎氏来訪、東亜研究所との協力方。


    10月20日 ○夜東亜研究所の招待を受け木挽町京亭と云ふのにて晩餐。原完次郎中将の気焔を面白く聴く、議論は荒ぽいがフォカスは合つて居る。


9月14日に大蔵が石射を訪問した理由は、大蔵の日記によると、

昭和18年9月14日 一〇時三〇分、外ム省に石射大使を訪問し、東研の特一委員会の資料蒐集に関する相談する。


金森が石射を訪問したのは、金森が東亜研究所の特別第一調査委員会(昭和16年2月設置)の第3代委員長だった関係だろう*1


戦後、初代国会図書館長となる金森徳次郎は、憲法や書物関係の随筆は書いているようだが、戦時中の活動については言及しているのだろうか。


追記:「原完次郎」は、正しくは東亜研究所理事の原敢二郎。


退屈男と本と街」8月1日分によると、『書肆アクセスの本』(仮)をつくるための公式ブログが謎(でもないか?)の神保町男によって作られた。

*1:原覺天『現代アジア研究成立史論』