神保町系オタオタ日記

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京都まちなか古本市の尚学堂書店から梅原真隆・顯真学苑旧蔵の『悲眼院初代院長故渡辺元一先生の面影』

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 京都古書会館では10月9日から11日まで「京都まちなか古本市」が開催された。古書ダンデライオンや尚学堂書店などに梅原真隆及び梅原が創設した顯真学苑旧蔵の本が出ていたので、それを中心に購入。今回紹介する『悲眼院初代院長故渡辺元一先生の面影』(高橋慈本、昭和11年5月)は、尚学堂書店から1,000円で。17頁の小冊子。初日からあったものの買うのを迷って、2回目に行った最終日に購入。国会図書館サーチでは、どこの図書館にも無いようだ。ただし、岡山県立図書館が6頁の『故悲眼院長渡辺元一氏』(発行者・発行年不明)を所蔵している。
 岡山県小田郡北川村(現笠岡市)に設立された悲眼院については、中西直樹・髙石史人・菊池正治『戦前期仏教社会事業の研究』(不二出版、平成25年8月)に出てくる。

(略)[古義真言宗祖風宣揚会の]一期事業の一環として創刊された『六大新報』では、社会事業に関する論説が掲載されるとともに、済世病院・讃岐学園・真龍女学校・悲眼院・鶏鳴学館など、古義真言宗僧侶が関わった慈善事業に関する情報を宗内に伝え、その事業展開の活性化を促す役割を果たした。(略)三期事業として東寺に開院した済世病院は、模範的仏教慈善病院として仏教界に大きな影響を与え、真言宗では大正期に岡山悲眼院・信貴山成福院積善会医院などの救療施設が開設された。
[ ]内は、引用者による注

 「京阪書房で小林参三郎『生命の神秘』を買ったら『京都新聞』に「静坐社」の記事が - 神保町系オタオタ日記」や「福来友吉と真言宗の関係について研究を期待するーー知恩寺の古本まつりで見つけた『六大新報』ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した済世病院と並ぶ古義真言宗僧侶による救療施設であった。本書によると、渡辺は慶應3年1月生まれ、大正13年4月27日没。悲眼院の設立については、次のようにある。

大正三年小田郡北川村走出薬師へ、真言宗僧侶高橋慈本、釈大空、長尾円澄、桑本真定[、]丸山祥憧諸師と謀り、救療事業悲眼院を創設し、経営方面を寺院側に一任し、医務方面を担任し院長となつて、前後十年間無報酬で施療に従事せられた。

 渡辺と梅原の関係についても記載があった。

(略)家は真言宗であつても、真宗の人達の指導で熱烈なる真宗の信者であつた。それは法友白印津田明導師の導引が序で、近角常観師、梅原真隆師、暁烏敏師などの法話が助縁となり、その信仰を深めたのであるけれど、最も先生をして真宗信者たらしめたのは清沢満之師の著書と、九州の東洋円城、京都の足利浄円の二師であつた、[ママ]就中足利師を敬慕し平生の行業は悉く足利師に私淑して居られた。最も晩年は弘法大師を信仰し(略)悲眼院が身心両面の救療を思ひたつたのも先生のこうした信仰が基となつて居る。(略)

 近角や足利も色んな所に名前が出てきますね。発行者の高橋の肩書は、悲眼院専務理事。渡辺が亡くなった後も、梅原と交流があったのだろうか。
参考:「梅原真隆・顕真学苑旧蔵の関昌祐編著『死後はどうなる?:心霊学説』(霊光洞本部、大正15年) - 神保町系オタオタ日記
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追記:樅野志郎『悲眼院:福祉の真髄に迫る』(吉備人出版、令和元年8月)が刊行されている。

悲眼院 福祉の真髄に迫る

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