神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

近代の仏教者達と国家主義団体大亜細亜建設社ーー笠木良明のもとに集まる多田等観・山辺習学・足利浄円・中井玄道ーー

'f:id:jyunku:20201013172611j:plain
 私の両親は福井出身で、熱心な浄土真宗の信者であった。しかし、息子である私の世代になると、さっぱり関心はなくなっている。仏教については、教科書で学んだ程度の知識しかない。それでも、個別の仏教関係者、たとえばシルクロード探検の関係で大谷光瑞、妖怪研究の関係で井上円了あたりには関心があって、関連書はかなり読んだものである。最近は、近代仏教の研究者に何回か会う機会があったおかげで、他の仏教者の名前も随分覚えるようになった。そうした中で、大谷栄一・吉永進一・近藤俊太郎編『近代仏教スタディーズ』(法藏館平成28年4月)が初学者のガイドブックとして、読み安く、近代仏教史の奥深さも味わえる好著であった。「初心者のための人脈相関図」というイラスト入りの画期的な一節もある。例えば、「西本願寺系」の一部は次のようなものである。
f:id:jyunku:20201013172721j:plain
 さて、近代仏教の研究者は、ここに出てくる中井玄道、足利浄円、三島海雲、宇野円空、渡辺海旭らが関与した国家主義団体があることに気付いているだろうか。「大亜細亜建設社の賛助員 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した笠木良明の大亜細亜建設社である。同団体については、国会デジコレで読める『全国国家主義団体一覧:昭和十六年十月現在』に立項されている。

亜細亜建設社
創立 昭和八年四月
性格 急進日本主義陣営ノ大陸政策遂行ヲ目的トスル団体デアル
綱領 
 目的 世界ノ為ニ大道ヲ開闡シ 政治的覇道ヲ超剋シ、経済的覇道ヲ清算シテ、真誠平和ノ基ヲ開ク
 実践 道ノ興起ハ世界維新ノ初メニシテ終リナルヲ決着シ 近ク一郷一村ノ道統自治ヲ実現シ、之ヲ推シテ遠キニ及ビ、大同維新ヲ完成ス
役員 主幹 笠木良明
   委員 村井修*1、斎藤源内、児玉誉士夫、伊藤三郎、奥戸足百、小黒将永、高村泰輔、大橋賢
会員 百名
活動状況 「大亜細亜」(月刊)三千部発行

 どういう団体かはよくわからないが、児玉誉士夫が幹部の一人であるような団体である。機関誌『大亜細亜』創刊号(昭和8年5月)は未見だが、2巻8号(昭和9年8月)の賛助員名簿には87名挙がっていて、多田等観*2、足利、中井の名前がある。仏教関係者としては他に、山辺習学、真渓涙骨、星野直翁、大峡秀栄、田島徳音、間宮英宗、小林正盛、宮本正尊がいる。神道関係者には、今泉定助、神崎一作、日高丙子郎、千家尊建、太田外世雄。木村悠之介氏が見たら、もっと見つかるかもしれない。イスラム教関係は、田中逸平、須田正継。もちろん、鹿子木員信、田鍋安之助、若宮卯之助といった国家主義者や笠木が満鉄調査部にいた関係で衛藤利夫など満洲人脈に属する人物も多い。変わったところでは、長谷川淑夫(長谷川四兄弟の父)、辰野隆、土井林吉(土井晩翠の本名)、長尾甲(長尾雨山の本名)、朝倉文夫*3、酒井由夫*4、三田村玄龍(三田村鳶魚の本名)、寒川陽光(寒川鼠骨の本名)の名前がある。なお、同号の編輯発行兼印刷人は馬場園義馬で、北一輝の門下生として後の二・二六事件後に処刑直前の北と最後の面会をする人物である。
 渡辺海旭は昭和8年1月に亡くなっているので、賛助員名簿に名前はない。ただ、伊藤武雄『満鉄に生きて』(勁草書房、昭和39年9月)によると、

 渡辺海旭、藤井行勝など日蓮行者は彼(笠木良明ーー引用者注)の師匠格らしいが、その道では「東亜青年居士会」を主宰し、ついで「大雄峯会(狩庚大雄峯)を結成して、満洲国建設事業には、その一統をひきいて乗りこむのです。「昭和維新」を外地から遂行していくつもりだったかと思われました。

という。また、「日本の古本屋」で売り切れとなっているが、『大亜細亜』創刊号の出品情報として渡辺の名前が出ている。遺稿だろうか。
 2巻8号以後、1度でも賛助員名簿に名前が出る人物としては、仏教関係者として宇野円空三島海雲、沢木興道、横山雪堂。その他、二木謙三加藤一夫、クルバンガリー、増田正雄*5桜沢如一*6、山本英輔*7、川島浪速、登張信一郎(登張竹風の本名)など気になる人物も登場。多田、中井、足利の3人は11巻6号(昭和18年8月)の段階でも名簿に名前があり、相当熱心な賛助員だったことがわかる。大亜細亜建設社は敗戦後公職追放の対象となる団体に指定されたので、賛助員でなく役員になっていれば、公職追放の対象になっていたおそれがある。ただし、上記『全国国家主義団体一覧』上の役員で大亜細亜建設社役員を理由として公職追放になっているのは、笠木だけである。また、『公職追放に関する覚書該当者名簿』をざっと読んでみたが、大亜細亜建設社役員を理由として公職追放になった者は、やはり笠木だけのようだ。笠木らの公職追放該当事項は、次のとおりである。

笠木良明 大亜細亜建設代表者主幹興亜青年運動本部要職者行地社要職者
児玉誉士夫 アジア青年社代表主幹国粋同盟東亜局長総務国粋大衆党東亜部長聖戦貫徹同盟要職者興亜青年運動本部代表者著書
奥戸足百 アジア青年社同人興亜青年運動本部要職者維新公論社主幹者勤皇まことむすび中央世話人聖戦貫徹同盟主幹
小黒将永 興亜青年運動本部要職者
馬場園義馬 独立青年社顧問

 足利や中井がどの程度大亜細亜建設社に関与していたかは、不明である。ただ、足利は『大亜細亜』3巻5号(昭和10年5月)の「一隅者の念願」に、

 K先生
 私は大亜細亜の創刊号の冠頭言を読みました時、これは全人類の願を代表するものであると思ひました。そして幾度びか之を繰返して読んで快哉を叫びました。その当時私はある場所で山辺習学先生に会ひました。先生は口を極めてあの冠頭言を称讃して居られました。(略)

と書いているので、単に名義を貸しただけの関係でないことはわかる。吉永進一氏は、『近代仏教スタディーズ』の「はじめに」に「ぜひ本書を活用して路地の奥まで入り込み、近代史を仏教の側から路上観察していただきたい」と書いている。私も『仏教スタディーズ』を片手に、近代仏教史という迷宮都市の路地裏に入り込んだようだ。

*1:新野和暢『皇道仏教と大陸布教:十五年戦争期の宗教と国家』(社会評論社平成26年2月)によると、太田外世雄編『太夷宮鎮座祭』(太夷講、昭和15年12月)に昭和15年7月の鎮座祭に川島浪速らと共に粛親王府の村井修が参列したことが記載されている。また、足利が祝辞を寄せている。

*2:名簿では、「多々等観」と誤植

*3:三角寛に提供された『ウエツフミ』の出所 - 神保町系オタオタ日記」参照

*4:東京精神分析学研究所創立期のメンバー - 神保町系オタオタ日記」参照

*5:国際政経学会常務理事増田正雄の敗戦前後 - 神保町系オタオタ日記」参照

*6:桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その1) - 神保町系オタオタ日記」参照

*7:海軍大将山本英輔のトンデモ遍歴 - 神保町系オタオタ日記」参照