神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正10年画家今関啓司が観た山本鼎の第2回農民美術品即売会とロシア未来派展

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 『画家今関啓司の日記:1918~1946』(求龍堂、平成3年10月)は1度読んでいるが、所要で再度読んだら色々発見があった。まずは、星製薬で開催された戦争ポスター展である。

(大正十年)
六月二十二日
(略)星製薬七階に戦争ポスター見に行く。後藤市長講演真[ママ]中、きく気にもなれず、ポスターには感激する。結晶したる人間同盟の愛、如何にドイツが戦争中の緊張さを保ってゐたかを、一寸恐ろしい気がした。過激主義の写真はすごいもの。
(略)

 星製薬で開催された展覧会については、「大正期における展覧会場としての星製薬ーー分離派建築会第3回作品展も星製薬だったーー - 神保町系オタオタ日記」などで紹介してきたところである。今回新たな事例を発見できた。
 次は、山本鼎の農民美術品即売会である。第1回は大正9年5月日本橋三越で開催された。第2回が今関の日記に出てくる。

(大正十年)
○六月ヨリ二十二日迄日誌
 このころ本郷駒込千駄木町二、二葉屋二階に在
六月一日 雨、気色すぐれず床上にある。
(略)三越内農民美術の招待にのぞむ(註10)。山本氏、杉村、山崎、村山氏に会う。混雑さに耐へられず、しばしして去る。白石君にも会う。

註10 山本鼎が主宰する信州の農民美術運動の成果を展示したもの。山本(鼎)氏と美術院以来の仲間の他、〈村山氏〉とは、遺友・村山槐多の弟、村山桂次。村山桂次は木彫家を目指し、農民美術運動の講習会では木彫の手ほどきをしていた。

 今関は、翌11年山本、足立源一郎、長谷川昇小杉未醒、倉田白羊、森田恒友梅原龍三郎らが結成する春陽会に客員として参加することになる。
 同じ日に出てくる次のロシア人の未来派展覧会には驚いた。

(略)玉木にあるロシア人の展覧会のぞく。未来派芸術始祖と名うてる肖像葉書貰う。幼稚なる作品にてつまらなし。旅人の彼等想ふて気の毒になる。(註11)
 場内にて石井政二君に会う。(略)

註11 「未来派美術協会第一回展」(九月十六日~二十五日 銀座・玉木屋額縁店)と、「日本に於ける最初のロシア画展」(ブルリュック、パリモフ約五百点展示 十月十四日~三十日 京橋・星製薬株式会社)の二つの展覧会が後日混同して記されたのではないか。

 註で挙げている2つの展覧会は、大正10年ではなく、大正9年の開催である。また、確かに日記の冒頭にあるように6月22日までの分を後日まとめて記載したようではある。しかし、同月20日の条に「日光旅誌書終る」とあり、6月4日の日光旅行分の日記を書いていて、それほど日を置かずに日記を書いていたことがうかがえる。前年に開催された2つの展覧会を混同して記載したとは考えにくい。大正10年6月*1玉木屋額縁店で、ブルリュークらの未来派美術展が開催されたのであろう。これは、五十殿利治ほか『大正期新興美術資料集成』(国書刊行会、平成18年12月)に記載されていない展覧会である。他に史料が残っていないだろうか。

*1:追記:大正10年5月31日と6月1日の日記を混在して書いていて、展覧会に行ったのは5月31日の可能性が高い。