神保町系オタオタ日記

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煩悶する明治の青年達が読んだ桑原俊郎『精神霊動 第一編 催眠術』

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明治大学中央図書館ギャラリーで「城市郎文庫展ーー出版検閲とその処分」が11月17日(日)まで開催中である。発禁処分を受けた偽書、藤村操著・岩本無縫編『煩悶記』(也奈義書房、明治40年6月)が展示されているらしい。明治36年5月に自殺した藤村操の影響を受けたのか、元々時代がそういう雰囲気だったのか、この時期は煩悶する青年達の時代だった。そして、催眠術ブームの時代でもあった。
一柳廣孝『催眠術の日本近代』(青弓社、平成9年11月)によれば、「明治三十六年(一九〇三年)、催眠術ブームは、一気に加速した」。催眠術関連書が明治36年に16冊、37年に23冊、38年に14冊刊行されているという。催眠術ブームの背景として、

まず、注目すべきは新たな催眠術ブームのスタートが、いわゆる「煩悶の時代」のスタートと重なっていることである。「煩悶の時代」は、明治三十六年五月二十二日、第一高等学校学生、藤村操が日光・華厳の滝から投身自殺した事件に始まる。藤村の残した遺書「巌頭之感」は、明治日本の選択した「西洋近代」に対する強烈なアンチ・テーゼとみなされ、同世代の知的青年層に大きな影響を与えた。若者たちは思想的・宗教的「煩悶」の重要性を声高に叫び、物質中心主義・実利主義を批判した。精神優位の時代の幕開けである。

このような時代背景の中、桑原俊郎(天然)の『精神霊動 第一編 催眠術』(開発社、明治36年8月)が刊行された。大川周明が同書を明治37年に読んでいたことは、「明治36年前後の催眠術ブーム(その3) - 神保町系オタオタ日記」で紹介した。今回もう一人煩悶する青年荻原井泉水を加えることができる。『井泉水日記 青春篇』(筑摩書房、平成15年12月)から引用する。

(明治三十八年)
一月二日
(略)
桑原氏『精神霊動』第一論(催眠術)をよむ、宛も我が云はんと欲せる所を云へり。唯我は何となくかく信じをりしに氏はこれを一々実験に徴せられしのち信ぜられし差あるのみ。
 「現時は追て大哲人の出る序幕である。将来の釈迦や基督は今頃は誰の母胎に宿らうかと母胎の人選中である」
をよんで身体がぞく/\としたり。  同日
同氏『実験記憶法』をよむ。(略)

荻原の年譜によれば、明治34年9月第一高等学校入学、36年10月精神錯乱を覚え、以後神経衰弱の記述が(日記に)見られる。38年6月同校卒業。同じ一高生である藤村の自殺には特に影響を受けたのかもしれない。栗田英彦・塚田穂高吉永進一編『近現代日本の民間精神療法』(国書刊行会)の「民間精神療法主要人物および著作ガイド」によると、

桑原俊郎(一八七三-一九〇六)は、第二期催眠術ブームの立役者であるとともに、後に続く民間精神療法のパイオニアでもある。静岡師範学校の漢文教師であった桑原は、近藤嘉三『魔術と催眠術』を読んで一九〇一(明治三四)年ごろから催眠術実験を始め、その結果を教育雑誌『教育時論』に発表し、評判を呼ぶことになる。(略)

煩悶し、桑原の催眠術書を読んだ荻原は、霊術家とならず、俳人になり名を残した。
参考:「桑原俊郎『精神霊動第壱編催眠術』(開発社、明治36年9月4版) - 神保町系オタオタ日記