神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

跡見花蹊が観た明治20年の工科大学校における活人画ーー京谷啓徳『凱旋門と活人画の風俗史』(講談社選書メチエ)への補足ーー

 『跡見花蹊日記』2巻(跡見学園)に、「活人画」という見慣れぬ言葉が出てきた。

(明治二十年三月)十二日
三条公より御招ニ預り、相公及御簾中と共に、工科大学校にて洋人等の催しにて活人画を見る。山水之位置、人物之配合等はほとんど画の如し。奇観言へからす。始[ママ]めて活人画をみる観客立錐之地もなき盛会也。此時伊藤博文佐野常民様、私の過日之凶事ニ付、先生こそ寿命万歳と呼れたり。(略)

 京谷啓徳『凱旋門と活人画の風俗史ーー儚きスペクタクルの力』(講談社、平成29年9月)によると、これは日本で最初の「活人画」である。在留ドイツ人の企画で、収益を博愛社に寄付するための催しであった。「活人画」とは、フランス語「タブロー・ヴィヴァン(生きている絵画)」の翻訳語で、衣裳を身に付けた人物が静止した状態で絵画を再現するパフォーマンスを意味するという。私は、動きも台詞もない固まった演劇を想像して、退屈そうと思ってしまった。しかし、同書で『やまと新聞』に掲載された舞台の様子や構成はワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「ワルキューレ」「ローエングリン」やグノーのオペラ「ファウスト」などからの10場面*1で、軍楽隊による演奏もあったことを知る。単なる静止画もどきではなかったわけだ。
 京谷著には、新聞記事からの引用しかないが、花蹊の日記によって、観客の感想を補足することができた。それにしても、この花蹊の日記は思いもかけない情報に出くわすことができて貴重である。これまでに、
婦人画報記者としての水島幸子(水島爾保布夫人で今日泊亜蘭の母) 「『婦人画報』記者列伝(その2) - 神保町系オタオタ日記
・新婚の中村古峡夫妻 「新婚さん中村古峡、いらっしゃい! - 神保町系オタオタ日記
・毎日電報記者初日の管野須賀子 「毎日電報記者管野須賀子と跡見花蹊 - 神保町系オタオタ日記
・跡見家と久米民十郎 「二重橋の設計者久米民之助の長男久米民十郎と跡見花蹊ーー霊媒派画家久米民十郎の誕生ーー - 神保町系オタオタ日記
などを発見している。花蹊の研究者か、広げても教育関係者しか読まなさそうな日記ではあるが、色々発見できるので皆さんも機会があれば読んでみてください。
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*1:各活人画は10分足らずで、3度繰り返して見せたという。