神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

ダーウィン、『種の起源』と『種の起原』の違いーークリントン・ゴダール著、碧海寿宏訳『ダーウィン、仏教、神』(人文書院)への補足ーー

 クリントンゴダール著、碧海寿広訳『ダーウィン、仏教、神:近代日本の進化論と宗教』(人文書院、令和2年12月)を読んでみた。「目から鱗」というのは、本書のためにあるような言葉である。本書によって、著者のいう二つの神話が葬り去られたと思われる。一つは、進化論は日本の宗教的な思想家たちのあいだで物議をかもさず、またキリスト教が不在であるがゆえに円滑に受容されたという神話。もう一つは、日本での進化論は、もっぱら国家のイデオロギーを支える政治的に保守的な理論として解釈されたという神話である。本書の反響は早速広がっているようで、Twitterに出ていたが、碧海先生が解説で名指しした吉川浩満『理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ』(朝日新聞社)のちくま文庫版(令和3年4月)は、113・153頁で本書に言及した上で訂正を行っている。
 まず、細かい事を補足しておこう。ダーウィンの"Origin of Species"は近年「種の起源」の訳語で馴染みがあるものの、伝統的には「種の起原」と訳されていた。拙ブログ「起原と起源に違いはあるのか - 神保町系オタオタ日記」を参照されたい。瀬戸口烈司先生が過去の15種類の翻訳書を調べると、13種類が「種の起原」(「種之起原」を含む)だったという。本書で『種の起源』と表記された大杉栄による訳書も正確には『種の起原』である。また、訳書ではないが、大西祝の『良心起原論』を『良心起源論』としているのも誤りである。
 本書では日本における多様な学者・宗教家等の進化論への反応が分析されていて、中でも友清歓真や荒深道斉にまで言及しているのは感心した。荒深は「契丹古伝と竹内文献を繋ぐムー大陸幻想ーー「言説のキャッチボール」で拡大する偽史大系ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及したように、偽史大系にムー大陸を導入した最初期の人物である。進化論については、次のような立場に立った*1

ダーウヰンの種の淘汰説は吾祖道の潜在片鱗が偶々彼に依つて闡明せられたのですが、甚だ幼稚で現時の生物のみを基礎として立てゝ居るのですから、之を精進せしむるのは日本の使命です。

 荒深が注目したのは、『古事記』の記載であった。『古事記』に記載されている古伝説は、「神霊と物質との起原及其進化の工程を、天体説より書き下して、生命進化を物語りとして説いた一種の造物学、進化科学」だとしている*2。そして、ゴダール先生は言及していないが、『古事記』を独自に解釈して、人類は猿ではなく、鳥に由来すると結論づけているのだ*3

*1:『純正真道大意』(純正真道天孫学団本部、昭和16年6月)127頁

*2:『挙て磨け八咫鏡』(純正真道研究会本部、昭和7年12月)6頁

*3:同書128、129、135、138頁