神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「ざっさくプラス」(皓星社)と『雑誌新聞発行部数事典』(金沢文圃閣)を使って木下宏一『二〇世紀ナショナリズムの一動態:中谷武世と大正・昭和期日本』(三元社)に補足

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 小林昌樹編・解題『雑誌新聞発行部数事典ーー昭和戦前期 附.発禁本部数総覧』(金沢文圃閣。以下『事典』という)については、一昨年の古本バトルで紹介したところ、好評だったようで、近代仏教の研究者に利用されるようになった。しかし、まだまだ他分野の研究者で知らない人も多いようだ。昨年、増補改訂普及版も出たところなので研究者の諸君は大人買いするか、所属機関の図書館にリクエストしましょう。今回は、『事典』を使って、木下宏一『二〇世紀ナショナリズムの一動態:中谷武世と大正・昭和期日本』(三元社、令和3年1月)に補足してみよう。
・133頁及び138頁 中谷武世(1898-1990)が主宰した月刊『国民思想』(国民思想研究所。昭和7年6月創刊)及び同誌を昭和9年11月から改編した月刊『維新』(維新社)は、公称発行部数3万部(中谷は1万とも)。3巻8号,昭和11年8月で廃刊か。→当初の勢いは無くなっていたようで、『事典』によると、『維新』昭和10年6月号は1,000部。11年4月号は2,500部である。
・160頁 中谷が常任理事兼事務局長を務めた大亜細亜協会の機関誌『大亜細亜主義』の発行部数は「毎月二千部位」→『事典』によると、昭和11年4月号、14年3月号、16年7月号が2,000部。その他、14年12月号が2,300部、15年10月号が2,600部などで最低でも2,000部は発行されていた。「毎月二千部位」は正しいようだ。
 やはり、戦前の新聞雑誌等の発行部数について言及する場合は、『事典』に当たるのが有益のようだ。
 ただし、使用に当たっては注意も必要である。例えば、『維新』の例で言うと、実は『事典』では19冊挙がっている。巻号数の表示と号数のみの表示が混在していて変だなと思って『発禁年表』で確認すると、巻号表示のある『維新』は維新社発行、号数表示のみの『維新』は維新会(又は維新会本部)発行で、別の雑誌であった。『事典』には典拠である『出版警察報』の「出版物差押成績表」に発行所の記載がないことから、発行所の記載はない。このように同時期に同名の出版物が存在する場合があるので、注意されたい。『発禁年表』は発行年月順でなく発禁年月順である上に書名索引が存在しないので、『事典』で確認できる発禁年月から『発禁年表』に当たればよい。更に研究者の諸君はそこで留まらず、発禁になった時期の『出版警察報』を見るべきであろう。ものによっては、永久に失われた文献の肝の部分(発禁の原因になった記述本文)を読めるからである。
 続いて、皓星社の「ざっさくプラス」を使って、木下著に補足してみよう。
・88頁及び127頁 満洲事変勃発(昭和6年9月)及びそれに連動した一連の事象を受けて、日本の国内思潮は、漸次孤高意識を深め、学術・評論にあっては「日本精神」の闡明が盛んに唱道されるようになった。NDLDC(国会図書館デジタルコレクション)で「日本精神」を検索した満洲事変前後の結果を例示→「ざっさくプラス」で昭和5年から11年までを検索すると、ノイズも含まれるが昭和7年以降の急速な増加傾向がこれでも分かる。ピークは昭和9年の427件(総数1,102件)である。
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 以上のほか、
・84頁 「津田光造(一八八九ー没年未詳)」 →「意外と役に立つかも『小田原文芸案内』(小田原文芸愛好会、1989年5月) - 神保町系オタオタ日記」で言及したように、津田の没年は昭和31年である。
・227頁 中谷の公職追放該当事由として「推薦議員行地社要財(ママ)者大亜細亜協会常任幹事大日本青年党評議員」に言及している。→「死してなお公職追放となった満川亀太郎 - 神保町系オタオタ日記」でも言及したが、ここに国民思想研究所や『国民思想』関係も加わって良さそうだ。しかし、なぜか昭和11年に亡くなっている満川亀太郎の該当事由に「国民思想研究国民思想代表者猶存社要職者」として挙がっている。
 木下先生は、我がスメラ学塾にも言及していた。174頁で、公私ともにスメラ学塾の塾頭末次信正と親しかった中谷は同塾に出講したことがあったかもしれないとしている。管見の限りでは、中谷とスメラ学塾接触は確認できない。ただ、木下先生が213頁で、中谷は昭和32年下中弥三郎中曽根康弘らと中東等を訪問した道中、石川三四郎の日本・ヒッタイト民族同根説やスメラ学塾等が戦前唱導した日本・シュメール民族文化起源説を熱心に説明したという興味深いネタを書いてくれているので、もしかしたらという気もする。
 木下著は、特に詳細な注はとても勉強になるものでした。綾川武治、中谷らに続いて、次はどういうナショナリストの研究にチャレンジするのか楽しみである。