一柳廣孝『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉:日本近代と心霊学』(講談社、平成6年8月)は、身内の病、死などを通じて心霊学に関心を抱いた人物として、浅野和三郎、豊島与志雄、土井晩翠を挙げている。これに、大正8年11月15日長男で数え5歳の晃を結核性腹膜で亡くした阿部次郎を加えることができる。阿部の年譜*1によれば、同月「オリバー・ロッヂ”Survival of Man“・Randallの書・Hyslop:Life after Death などpsychical research に関するものを読む」、同年12月「マーテルリンク“Light Beyond”を読む」とある。
日記で確認すると、ロッジの本を読み出したのは、晃の亡くなった6日後の21日、丸善でサイキカル・リサーチの本3冊を買ったのは26日でその日にRandallの本を読み出している。28日にRandallの本を中途で止め、Hyslopの本に移り、12月6日に読了。同月10日から再びロッジの本を読み出し、26日に読了し、「大体得心」。27日丸善でメーテルリンクの本を買い、28日から読みかけるが、前日三田文学会で生徒から聞いた大本教の預言に刺激され、内村鑑三の『基督再臨問題講演集』を読み出し、読了。31日にメーテルリンクの本には失望して、止めている。
更に、日記とは別の「晃看病及び死亡の記」の12月28日の条には、「僕は今ロツヂやヒスロツプの意味の霊魂不滅を信ずると云つてもいゝと思ふ。此信仰は前からおぼろ気にあつたが彼等の書を読んでから大変それが強められたのみならず、彼世と現世との関係について今迄思ひかけなかつた事をも考えへるやうになつた。それは単に死後のみならず生前に於いても死者と我等との間に交渉があるといふことである」と書いている。大正教養主義の旗手が、すっかり、心霊主義者になっていたようだ。ところで、小田光雄『近代出版史探索』(論創社、令和元年10月)の「新光社「心霊問題叢書」と『レイモンド』」によると、ロッジには『レイモンド』という著作もあり、第1次世界大戦で戦死した息子レイモンドとの死後の通信と交霊の記録で、大正11年野尻抱影訳で「心霊問題叢書」(新光社)第1篇の『他界にある愛児よりの消息』として刊行されている。阿部に頼めば、喜んで訳してくれただろう。