神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大幅に増補された柳田國男詳細年譜を楽しむ

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柳田國男全集』別巻1(筑摩書房平成31年3月)は、小田富英氏作成の詳細年譜。ざっと読んでみた。『別冊 柳田国男伝 年譜・書誌・索引』(三一書房、昭和63年11月)も随分詳細な年譜と思っていたが、この81頁の年譜に対し今回の年譜は驚くべき5倍の415頁。追加された事項で特に気になったものを挙げておこう。

(昭和九年)一月二四日 人文書院が来る。(略)
(昭和二二年)一〇月二一日 藤沢親雄が訪ねてきたので、昔話研究について語る。
(同年)一一月一三日 雑誌を送ってほしいと頼んでいた関根喜太郎から返事が届く。(略)

人文書院がどういう用件で来たのか、関根喜太郎に頼んだ雑誌は何だったのか気になる。また、「柳田読みの柳田知らずーー『柳田國男全集』第34巻中「旅の文反故」解題への補足ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した柳田の「旅の文反故」について、明治34年12月8日の条で「姉の貞宛ての手紙」としている。全集34巻の解題時には姉の順宛と推定していたのを修正している。拙ブログ「柳田國男の書簡流出事件の真相 - 神保町系オタオタ日記」の存在に気付いていただいたのかもしれない。ただ、年譜には確定的に書くべきではなく、「姉宛て(貞宛てと推定)」とすべきではないか。この事項ではなく、別の事項に関してではあるが、別巻の月報の座談会で、

石井(正己) この年譜自体がある意味で「小田年譜」みたいなもので(笑)、小田さんの読み方とかかわりながら出てきているところがありますか。
小田 危ないですかね、それは(笑)。

というやりとりがあって、その点で利用に当たっては注意が必要である。
拙ブログには、「柳田國男」のカテゴリーを作り、柳田の定本や既刊の全集における誤りや未記載の指摘をしたが、筑摩書房には連絡をしなかった。あれこれ指摘しておけばよかったかなあ。例えば、
柳田國男と謎の西洋人 - 神保町系オタオタ日記
『柳田國男全集』(筑摩書房)に漏れたる著作 - 神保町系オタオタ日記
土俗趣味社の『百人百趣』ならぬ『百人一趣』を確保ーー『柳田國男全集』の誤りを正すーー - 神保町系オタオタ日記
昭和14年1月柳田國男と尺八の公開演奏会で出会った満洲国暦法顧問佐藤了翁 - 神保町系オタオタ日記
である。