神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

仏教者としての寿岳文章と父鈴木快音

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ここに文庫櫂で入手した寿岳文章の年賀状がある。宛先は福井県大飯郡青郷村(現高浜町)にある中山寺(なかやまでら)の住職であった杉本勇乗宛である。昭和27年、29年と30年の3枚。うち昭和27年の年賀状には、「(略)このバビロンのやちまたの地獄へたゞ□墜ちてゆくらし」とあるようだ。年賀状に「地獄」という言葉を使うのは違和感があるが、某先生にお見せすると「ダンテ『神曲』からでしょうか」との話であった。寿岳が昭和49年~51年にかけて『神曲』の訳書を3巻出していて、「地獄篇」と「煉獄篇」だったか2冊だけは確認してみたが同種の記述はなかった。残りの篇を確認する必要があるが、寿岳のオリジナルか、前年に博士論文の題材としたウィリアム・ブレイクの可能性もある。
この僧侶杉本と寿岳の関係はよくわからない。中山寺のホームページによれば同寺は真言宗御室派。寿岳は兵庫県明石郡押部谷村(現神戸市西区押部谷町)の龍華院の住職鈴木快音の3男に生まれたが、同寺は真言宗高野派である。同じ真言宗という共通点はある。また、杉本はネットで読める『種智院大学同窓会報』27号,平成14年1月の「会員消息」に訃報(平成13年11月遷化)が掲載されている。一方、寿岳は昭和2年から京都専門学校*1(種智院大学の前身)の教授であった。更に、寿岳と親しかった新村出宛の書簡を保管する重山文庫に杉本の書簡が存在する。以上のような繋がりは判明したが、詳細は不詳である。
寿岳については、英文学者や和紙研究者としての側面は研究が進められているが、仏教者としての側面を忘れてはいけないだろう。「ざっさくプラス」によれば、『密宗学報』162号,昭和2年1月に「慈雲尊者の詩歌」を、168号,同年8月に「カバラ(希伯来密教)の教義」を執筆している。また、先日開催されたNPO法人向日庵主催の研究会「寿岳文章一家 その人と仕事を追う」の井上琢智「関西学院の英語教育と研究ーー寿岳文章をめぐる人びとーー」で知ったが、大正12年関西学院高等学部文科の卒論は当初「ウイリアム・ブレイクの思想に見出される華厳思想の用語」だったが、「ウイリアム・ブレイクの『ジェルーサレム』」に改題されたという。
そもそも寿岳について語ろうと思えば、まず父鈴木快音を調べねばと思ったが、これまたよくわからない。「人事興信録データベース」で長男鈴木敏一(寿岳の長兄)がヒットして、生年はわかった。要約すると、

鈴木敏一
明治18年8月生
父快音(安政3年6月生、小林伊兵衛4男)と母はる(文久2年1月生、小林平太2女)の長男
大正3年東京帝国大学理科大学数学科卒
第一生命保険相互会社アクチュアリーにして東京物理学校講師、東北帝国大学理学部の講義補助
妹ひでの(明治25年1月生、兵庫県人三枝快忍の嫁)
弟規矩王麿(明治33年3月生、同県人寿岳賢隆の養子)

父快音の没年は、第一ビルディング株式会社社長、前第一生命保険相互会社副社長であった敏一の追悼特集をした『保険評論』11巻8号(保険評論社、昭和34年7月)に寿岳が書いた「亡兄のこと」に81歳で死んだ父、87歳で死んだ母とあるので、父は昭和11年頃、母は昭和23年頃亡くなったことになる。仏教者としての寿岳や父快音については、種智院大学に寿岳に関心のある先生がいれば、研究が進展しそうだがどうだろう。
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*1:従来の年譜のママ。京都専門学校への改称は昭和4年なので、真言宗京都大学が正しいようだ。