金沢文圃閣から『戦時下日本主義の図書館ーー『日本図書館学』・皇道図書館』が刊行された。本書は、京都帝国大学附属図書館で同僚だった三田全信と小川寿一が創刊した『日本図書館学』『池坊華道文庫報』と並木軍平が創立した皇道図書館の目録を復刻したものである。別冊の解題、小林昌樹「戦時期ガラパゴス化の果てに見えた日本図書館界の課題ーーアメリカ流を奉ずる我々に日本主義図書館学が教えてくれること」を読んだので、若干気付いたことを補足してみよう。
・三田全信(さんだ・ぜんしん) 昭和6年京都帝国大学文学部選科卒とあるが、加えれば昭和4年史学科選科入学(『京都帝国大学一覧:昭和五年』)
・小川寿一(おがわ・じゅいち) 昭和15年京都帝国大学司書を兼務とあるが、当初から「司書」であったかは疑問。昭和15年10月1日現在の『文部省職員録』中、同図書館の司書に名はない。ただし、小林氏も書いているように『京都大学附属図書館六十年史』によれば在職期間は昭和15年3月から18年3月までなので、当初は三田同様バイト扱いだったか。16年10月現在の前掲書では嘱託。なお、新村猛(在職期間15年10月から23年3月)も嘱託。17年10月現在で小川は司書となっている。また、学歴の記載がないが、昭和4年11月現在の『龍谷大学一覧』中、文学部第2期生に名がある小川か。そうだとすると、6年頃卒業になる。
・高橋三郎 『日本図書館学』4・5号(日本図書館学研究所、昭和17年6月)に「和装本の保存管理私見」を書いた高橋について未詳としているが、半分冗談だが昭和16年1月から17年1月まで内務省警保局検閲課長だった高橋を候補に挙げておこう。
・皇道図書館 並木が昭和18年8月群馬県に「仮文庫」を開館した皇道図書館だが、その前にもう一つの「皇道図書館」があった。私が平成20年8月に書いた「もう一つの皇道主義図書館 - 神保町系オタオタ日記」では匿名にしたが、昭和14年10月栃木県足尾町に開館した大亜細亜建設社足尾支部図書館である。出典は『大亜細亜』7巻11号(大亜細亜建設社、昭和14年11月)の「足尾支部図書館開設と野田秀雄君壮行会」。昭和8年4月に大亜細亜建設社を創設した国家主義者笠木良明が出身地の足尾支部に寄贈した本を中心に開設された。大亜細亜建設社は、『全国国家主義団体一覧』によれば、「急進日本主義陣営ノ大陸政策遂行ヲ目的トスル団体」である。足尾支部図書館の目録が発見されれば、「日本精神、大亜細亜思想其他精神修養に資するもの」を集めたという蔵書の傾向がわかるのだが、入手は不可能か。この図書館と並木の皇道図書館とは直接の関係はないと思われるが、皇道図書館の設立に協力した今泉定助は賛助員の1人だし、並木と同じく日本大学皇道学院出身の児玉誉士夫が役員だった。なお、大亜細亜建設社の賛助員には興味深い名前が多数見られるので別途報告しよう。
ちなみに、解題中に
神道の専門図書館として、神道研究からの研究も必要だろう。しかし、これも、御統眞澄『神道と図書館』(しんめい舎、2017. https://neoshintoism.hatenablog.com/)といった研究同人誌が手をつけ始めている段階で手薄としか言いようがない。
とある。
以上、小林氏の解題に補足してみた。最後にもう一つ。「拝啓 壽岳文章様ーー菊地暁「拝啓 新村出様」を読んでーー - 神保町系オタオタ日記」で言及したが、新村出記念財団重山文庫には図書館関係者からの書簡が多数ある。新村出は、三田や小川の在職期間とは重ならないが明治44年10月から昭和11年10月まで京都帝国大学附属図書館の館長であった。また、『新村出全集』別巻の年譜によれば、昭和16年7月皇国華道協会(池坊の会)顧問となっている。この重山文庫が所蔵する書簡がネット上の「新村出宛書簡発信者一覧」で見られるが、小川や『日本図書館学』の執筆者である中神利人の名がある。小林氏が本解題を増補する機会がある時は、念のため重山文庫蔵の書簡を見ておいた方がよいだろう。