三密堂書店の100円均一台から掘り出したトンデモない本の幾つかは、
「明治期の京都における染織図案史の修正を迫る『京都図案会誌』を発見 - 神保町系オタオタ日記」
「最初期の仏教唱歌集、西村義嶺編『仏教唱歌』(井上教山、明治23年9月) - 神保町系オタオタ日記」
「三密堂書店の100円均一台で易者神山五黄の正体を掴むーー宮武外骨の仲人神山五黄とはーー - 神保町系オタオタ日記」
などで紹介してきた。1年に1回位「どひゃあー」と叫びたくなる一品を拾うことができる均一台である。今年はどうだろうかと思ってたら、とうとうキター\(^o^)/
明治38年6月18日付け『大阪新報』(大阪新報社)である。同紙の日露戦争期の分は国会図書館や明治新聞雑誌文庫にもほとんどない。しかも、本号には奇人として知られた小川定明が日露戦争の第1軍戦争特派員として報道した「露西亜征伐」(5月1日発)及び無署名であるが「実地通俗 日露合戦記」(後編第183)を掲載している。南方熊楠や宮武外骨と並ぶ三大奇人の一人と呼ばれた小川だが、他2人と比べてすっかり忘れられた存在となっている。伝記も佐藤清彦『奇人小川定明の生涯』(朝日文庫、平成5年1月)だけだろう。
佐藤著によると、小川は大阪朝日新聞で活躍した後、
定明ほど名の売れた新聞記者であれば、“買い手”は、いくらでもいる。大朝退社後、定明は大阪新報に入社し、例によって出退勤自由の遊軍記者を勤めていた。そこへ、日露戦争である(明治三十七年二月十日宣戦布告)。
(略)定明は、その経験を買われ、大阪新報ただ一人の特派員として、いち早く第一軍に従軍した。定明が、どんな戦記を書いたかは、大阪新報が残っていないので、いま知ることはできない。(略)
たった1号ではあるが、ここに小川の戦記の一端がようやく出現したことになる。本号には奇人、新聞記者、日露戦争と9年前に亡くなられた黒岩比佐子さんが好きそうなテーマが揃っている。生きておられたら、驚いてくれただろうか。今月17日は黒岩さんの命日だ。
- 作者: 佐藤清彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞
- 発売日: 1992/12
- メディア: 文庫
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