天神さんの古本まつりに古書鎌田やモズブックスが目録参加のみで出店しなくなったのは、非常に残念である。さて、一昨年に同まつりで古書鎌田が全品300円、500円、800円のどれかというセールをやってくれた件については、「京都時代の金尾文淵堂と製本所真英社 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した。今回取りあげる『忍び草』は、その時拾ったものである。題名を見て「饅頭本」(追悼本)だろうと思ったら、大阪の芝川ビルの意匠設計などで知られる本間乙彦の饅頭本であった。状態も悪いし、奥付もないが、800円ならバンザーイ\(^o^)/である。国会図書館サーチやCiNiiではヒットしない。800円は安すぎ!調べてみたら、奥付は元々無くて、発行は昭和12年10月である。
36頁で内容は、
写真
故本間乙彦略歴
絶筆 天王山農場・大西邸居間(昭和12年7月)
国宝 河内高鷲村・吉村邸座敷(昭和12年7月)
国宝 河内高鷲村・吉村邸庭(昭和12年7月)
『美しき民家を求めて』の文より(別に添付した遺作スケツチの解説)
平湯・村山旅館(飛騨) 故人作
十津川湯泉地(大和) 故人作
『美しき民家を求めて』を読みて 理学博士西村真琴
弔詞 冬夏会近畿支部長松本禹象
本間乙彦君の追憶 関根要太郎
眼の印象 蔵田周忠
本間君と私 大谷木広
みね草を通して 原田石四郎
酒友本間君を憶ふ 鶴丸梅太郎
本間乙彦君と住宅改良会 渋谷五郎
月刊『住宅』と本間君 西村辰次郎
本間乙彦氏の思出 中野順次郞
本間はWikipediaにも立項されてはいるが、本書の略歴の方が詳しいので引用しておこう。
明治25年2月24日 兵庫県龍野町本間貞観5男として生
大正3年3月 東京高等工業学校建築科卒
大正4年より7年まで 大阪にて建築及装飾設計事務所を自営
大正7年より9年まで 東京日本電気装飾株式会社設計主任として従事
大正9年より12年まで 大阪にてくろふね図案店を経営
大正13年より昭和4年まで 大阪市立都島工業学校建築科教諭として勤務
昭和4年より 大阪にて建築設計事務所を経営し今日に至るが、その間の主な仕事は、松竹アドビル、生駒山上ベルグハウス、六甲山上阪神休憩所、阪神パーク増築工事等で住宅は数十軒ある、尚意匠計画に参与したものに曽根崎ビル、丸万食料品店、芝川ビル、小川ビルなど
昭和6年7月より 住宅改良会発行にかかる月刊『住宅』誌の編輯に従事したが其後設計部を担当
昭和10年4月より 大谷女子専門学校講師として勤務
昭和12年8月14日 永眠
関根の「本間乙彦君の追憶」に本間は東京高等工業学校時代「稲田の姓」を名乗っていたとあるが経緯は不明。また、年譜に記載はないが、関東大震災前に本間は関根の紹介で木田保造の木田組の設計部に勤め、銀座の松屋呉服店の原案の設計を練ったり、須田町の福岡銀行の支店の設計も行ったという。