神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治期の京都における染織図案史の修正を迫る『京都図案会誌』を発見

京都図案会事務所発行の『京都図案会誌』を掘り出した。2号が明治37年7月、3号が同年9月、7号が38年4月発行である。編輯兼発行者は北村直次郎、後に三越大阪支店美術部の主任になる人のようだ。サイズは新聞紙半裁大(縦43cm、横28cm)で4頁。第2号と第3号は毎月1回7日発行、第7号は毎月1回1日発行とある*1
京都図案会については、平光睦子「京都図案会の活動と理念ーー明治期京都の染織図案ーー」『服飾文化学会誌<論文編>』12巻1号(服飾文化学会、平成24年2月)に詳しい。それによると、

・京都図案会は、明治35年結成の図案精英会を36年に改称、改組した染織図案家中心の組織
・京都図案会は、図案精英会の機関誌『図案精英』を明治36年『京都図案』に改称し、新聞紙半裁大の着色木版刷りで第1巻を刊行
・翌年発行の第2巻からは、第1巻よりひとまわり小さいサイズの和綴となった。
・現存を確認しているのは、明治40年4月の第2巻1号から43年の第5巻までの間の一部である。

第2巻第1号が明治40年4月発行であることは、国会図書館京都府立京都学・歴彩館が所蔵しているので間違いない*2。平光論文がその前年に第1巻が発行されたとする一方で、明治36年に第1巻を刊行としているのは、誤植か記憶違いだろうか*3。今回私が入手した『京都図案会誌』はサイズは『京都図案』と一致するが、彩色はされていない。また、第2号が明治37年7月発行なので、創刊は同年と思われる。そうすると、創刊時期も異なる。『京都図案』と『京都図案会誌』は別の物であろうか。
平光論文には、明治41年の会員名簿によると、図案家の正会員は54名、支援業者たる賛助会員は104名とある。2号に載っている名簿によると、正会員は80名、賛助会員は53名なので、明治37年から41年に至るまでに正会員が3割減、賛助会員は倍増したことになる。
各号の記事を幾つか紹介すると、
第2号
・湯浅吉郎談「藝術雑観」(京都府立図書館長湯浅吉郎が明治37年6月の例会で講演した内容の紹介)
・鹿子木猛(ママ)郎談「伊太利所見(上)」
第3号
・紫郊*4「生産的図案」
・図案旅行(第6回)(明治37年7月に実施された京都図案会第6回図案旅行の報告)
第7号
・川島甚兵衛談「室内装飾に就て」
・大澤芳太郎「欧米図案観」
・絵はがき
以上、研究者でない私には手に余る資料だが、1部100円で拾ったこの機関誌は、従来の京都の染織図案史に関する研究の見直しを迫る重要な史料と思われる。
追記:『京都図案会誌』3号の「雑事雑感」欄で新入会員の「京都図案会初めて出来たのは何時でした」との質問に対し、幹事は「明治三十五年七月京都倶楽部で発会式を挙げた」と回答している。

*1:ただし、実際の第3号は明治37年9月3日、第7号は明治38年4月25日発行になっている。

*2:『京都図案』第2巻第1号の編輯人は川村猪蔵、発行人は高坂三之助、発行所は京都図案会雑誌部。

*3:論文が収録された『工芸と美術のあいだーー明治中期の京都の産業美術ーー』(晃洋書房、平成29年3月)でも訂正されていない。

*4:岡田紫郊と思われる。