神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

公開された吉井勇日記と所在不明の金子竹次郎日記

吉井勇と河上肇の日記に記録された馬町空襲の真実 - 神保町系オタオタ日記」で言及した吉井勇の日記について、細川光洋先生による翻刻吉井勇 戦中疎開日記抄」『短歌研究』73巻11号(短歌研究社平成28年11月)を読んだ。非常に興味深い内容で、全文の刊行が期待される。一部を引用すると、

『洛東日録』
(昭和十九年九月)
二十一日 (略)大八洲書房に臼井君を訪ひ轉
居通知状を頼む。皈れば谷崎潤一郎君在り。ホツトケーキの午食を共にしたる后西本願寺にゆく。車中宇野君に會ふ。小寺、里田氏等満洲へ赴く由。二時頃西本願寺着(略)

「臼井君」は細川注によると臼井喜之助で、後に『吉井勇のうた』(現代教養文庫)を刊行とある。谷崎潤一郎も出てくるが、小谷野敦氏の「谷崎潤一郎詳細年譜」に谷崎側から見たより詳しい記載があって、谷崎も西本願寺に同行したことがわかる。
もう一つ引用すると、

『續北陸日記』
(昭和二十年十月)
廿二日(略)一旦皈宿の后大雅堂に田村君を訪ひて會談。小栗、田畑君等に會ふ。養徳社を訪ひたるも社員不在。用事を書き残して皈る。(略)萬屋主人金子竹次郎君来り、三十余年前の懐旧談。忘れたる事多し。(略)

大雅堂の田村は、「戦前の京都書籍雑誌商組合を牛耳った阿波グループの栄枯盛衰 - 神保町系オタオタ日記」や「関西で公職追放になった二人の出版人 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した田村敬男ですね。そして、夏目漱石も泊まり、谷崎とも交流があった文人宿萬屋の金子竹次郎。「京都の文人宿万屋主人金子竹次郎が残した日記 - 神保町系オタオタ日記」や「『京都人物山脈』(毎日新聞社)に万屋主人金子竹次郎 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したが、吉井や長田幹彦等が出てくる日記を戦後も所蔵していた。遺族を見つけて、日記や宿帳が残っていれば大発見になるであろう。
なお、大八洲書房(正しくは大八洲出版)及び大雅堂については、「『二級河川』16号の「戦時の企業整備により誕生した出版社一覧(附・被統合出版社名索引)」が超便利 - 神保町系オタオタ日記」参照