神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

一柳廣孝『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉・増補版』(青弓社)への補足

f:id:jyunku:20210421194829j:plain
 一柳廣孝『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉・増補版:日本近代と心霊学』(青弓社、令和3年1月)が出た。元版(講談社選書メチエ、平成6年8月)が出てから27年。増補版の解説を書いた東雅夫氏も「この本が出たときのことは、よく覚えている」としているが、私もはっきり覚えている。「凄い人が現れた」と思ったものである。以後の活躍ぶりには注目していた。私の方も多少成長して、ブログにこっくりさん千里眼ネタを幾つか書いている。この際、一柳著に補足してみよう。頁数は増補版による。
・20頁 巌谷小波明治20年1月26日こっくりさんを試みた。→この日とは別だが、同年4月10日小波芳賀矢一がそれぞれこっくりさんをやっていた。「コックリさん、コックリさん(その2) - 神保町系オタオタ日記」参照
・60頁 明治27年頃から快楽亭ブラックの催眠術が評判になった。→「依田学海と催眠術(その1) - 神保町系オタオタ日記」や「寺田寅彦と快楽亭ブラック - 神保町系オタオタ日記」参照
・61頁 明治36年前後に催眠術ブームが訪れた。→「『『食道楽』の人 村井弦斎』余話 - 神保町系オタオタ日記」「明治36年前後の催眠術ブーム(その1) - 神保町系オタオタ日記」「明治36年前後の催眠術ブーム(その2) - 神保町系オタオタ日記」「明治36年前後の催眠術ブーム(その3) - 神保町系オタオタ日記」「煩悶する明治の青年達が読んだ桑原俊郎『精神霊動 第一編 催眠術』 - 神保町系オタオタ日記」参照
・86頁・128頁 『神通力の研究』(東亜堂書房、明治44年)を書いた薄井秀一(東京朝日新聞記者長梧子)→薄井秀一=モダンガールの北澤秀一の経歴は、「久米正雄が昭和2年に失ったもう一人の友人北澤秀一(その1) - 神保町系オタオタ日記」、「久米正雄が昭和2年に失ったもう一人の友人北澤秀一(その2) - 神保町系オタオタ日記」、「久米正雄が昭和2年に失ったもう一人の友人北澤秀一(その3) - 神保町系オタオタ日記」、「微苦笑の人久米正雄とモダーン・ガールの人北澤秀一 - 神保町系オタオタ日記」参照
・100頁・207頁・211頁 千里眼事件で京大光線を発見した京都帝大の学生三浦恒助→その後の三浦については「千里眼事件の最中に「京大光線」を発見した京都帝国大学の学生三浦恒助のその後 - 神保町系オタオタ日記」参照
・148頁・230頁 福来友吉大正4年10月26日休職満期となり東京帝国大学を去った。→一柳先生は正しく記述しているが、しばしば誤って福来は辞職したとされていることは、「福来友吉の東京帝国大学文科大学助教授追放に関する二つの説 - 神保町系オタオタ日記」、「岐阜県図書館様 福来友吉は東京帝国大学を辞職ではなく、休職期間満了による失職ですよ! - 神保町系オタオタ日記」参照。また、その後の福来については「福来友吉と真言宗の関係について研究を期待するーー知恩寺の古本まつりで見つけた『六大新報』ーー - 神保町系オタオタ日記」参照
・148頁 福来は、日本心霊研究所を昭和16年敬神崇祖協会と名称変更したが、そのため戦後公職追放となる。→福来の公職追放該当事項は、「著書」。「大東亜心霊学の誕生 - 神保町系オタオタ日記」参照
・151頁 新光社の「心霊問題叢書」→「沖野岩三郎「其夜の話」に登場する泊鴎会のメンバー - 神保町系オタオタ日記」参照