神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和12年9月歌舞伎座で上演された三角寛原作『山窩の女』

山窩(サンカ)という存在を始めて知ったのはいつのことだっただろうか。UFO超心理研究会に入る前から知っていたのか、入ってから部員に聞いたのかもはっきりしない。確実なのは、京大教養部の図書館で書庫*1に並んでいた『三角寛全集』(母念寺出版)を全巻読破したことである。あと、今は東北大学で偉そうにしてる(?)某君も山窩のファンで、一緒に出町柳の善書堂に行った時に彼が『サンカの社会』(朝日新聞社、昭和40年)を先に見つけて悔しい思いをしたことである。
さて、三角については『日本近代文学大事典』にも立項されているが、ここでは『日本仏教人名辞典』(法蔵館、平成4年1月)から要約しておこう。

三角寛(みすみ・かん) 明治36年7月2日-昭和46年11月8日
俗名 三浦守
号 寛、山村秋次郎
学歴 日本大学法科
事績 10歳で浄土真宗本願寺派の最乗寺で出家。大正15年朝日新聞社入社、社会部の警視庁詰めに。昭和8年退社し作家生活に入る。23年映画館人生坐を経営。のち埼玉の桂木寺住職となる。山窩小説の第一人者で、37年に『山窩族の社会の研究』で文学博士。

以上の前置きをしておいて、今回は紅野謙介・森井マスミ編『新派名優喜多村緑郎日記』3巻(八木書店平成23年3月)で見つけた三角ネタを紹介。

(昭和十二年)
九月十日 雨
(略)
歌舞伎は今日は、「何々観劇会」とかいふのでとにかく殆ど一杯だった。(略)第三「山窩の女」は訥子の「年寄」といふのが出たときは、高田のやうで卯三郎の台詞廻しでいゝと思ふと、段々することがだれてゆく。ーーいゝ加減なもの也

喜多村はこの日歌舞伎座に行っているが、「山窩の女」が上演されたらしい。『歌舞伎座百年史資料篇』(松竹・歌舞伎座、平成7年4月)によれば、昭和12年9月1日から26日まで市川猿之助一座・水谷八重子一座合同九月興行で三角寛山窩綺譚』より「山窩の女」二幕が伊藤熹朔装置、三角寛意匠指導で上演されている。水谷八重子山窩の娘ミノを演じた。私は三角の詳細年譜を作成するつもりはないので、もしも詳細年譜を作成している人がいれば是非これも記載していただきたい。

*1:カウンターに学生証を預けると中に入れた。