神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『少年少女画報』2号(東京社、明治40年9月)に水野葉舟の童話

これまた文庫櫂で見つけた珍しい雑誌。『少年少女画報』2号(東京社、明治40年9月)、口絵が16頁と葉舟「おとぎばなし森の小供」・懸賞一口噺など16頁。少し破れがあって1000円。少年少女雑誌の古本というと落書きが多いが、これにはほとんど書き込みが無かった。葉舟が水野葉舟かなと思って購入。
調べてみると、水野葉舟は奥付に編集者とある窪田通治(空穂)とは明治33年上京後訪問した与謝野鉄幹の新詩社以来親交があり、39年7月には水野と窪田は共著歌集『明暗』を刊行している仲なので、葉舟は水野葉舟と見てよいだろう。ただし、『近代文学研究叢書』61巻(昭和女子大学近代文化研究所、昭和63年10月)の著作年表に記載はない。本号を所蔵する図書館は確認できないが、創刊号(明治40年8月)を大阪府立国際児童文学館が所蔵していて、そこにも葉舟は「指姫」を執筆している。鷹見本雄『国木田独歩の遺志継いだ東京社創業・編集者鷹見久太郎』(鷹見本雄、平成21年11月)では本誌について、独歩社の『少年少女画報』の智識路線を踏襲したものと考えられ、大正4年4月の『日本幼年』創刊まで続いたとしている。
明治40年前後の水野葉舟については、横山茂雄先生編の『遠野物語の周辺』(国書刊行会、平成13年11月)の「解題 怪談の位相」に詳しい。これによると、葉舟は明治38年早稲田大学政治経済科卒業、39年10月に佐々木喜善と出会い、怪談話で盛り上がっている。そして、葉舟は『趣味』41年6月号掲載の「怪夢」を出発点として、大正期に至るまで怪異体験をめぐる多数の文章を執筆していくことになるという。
葉舟の「森の小供」は、太郎と芳子という2人の兄妹の物語。家は大金持ちで何不自由のない生活だったが太郎6歳、芳子4歳の時に両親が相次いで病死。2人は母親の弟に当たる叔父に預けられるが、叔父は遺産が欲しくなり、悪者2人に子供の殺害を依頼する。子供を無くした東京の友達にしばらく貸してやるためとだまし、子供は悪者に連れられてゆく。悪者のうち1人は芳子くらいの娘を持っていたため、罪の無い子供を殺すのがかわいそうになる。悪者同士で切り合いになり、改心した男の方が勝つ。これでめでたしめでたしとなるかと思いきや、男は子供を森の奥へ連れていき、置き去りにしてしまう。残された子供は、寒さの中食べる物もなく、神様に祈る。神様は2人の祈りを聞き、2人は凍え死にし、両親の所へ行くことになる。何とも救いのない童話であるが、終わりは詩的な文章になっている。

それから暫くして旅人がその森を通って居ますと、森の中の鳥が沢山集まっててんでに口に花をくはえて飛んで居ますから何かと思って見るとかわいい子供が二人凍ゑ死んで居ました。そして小鳥だちはその花をその児の上にふりかけて居たのでした。

遠野物語の周辺

遠野物語の周辺