再び、時計の針を戻して、明治39年をのぞいてみよう。
『日本エスペラント運動史』によると、
1906年(明治39年)9月28日、日本エスペラント協会は第1回大会を東京神田美土代(みとしろ)町青年会館で開催した。大会の様子を当時の協会機関誌の記事から引用する。
「(前略)黒板[勝美]博士は先ず立って開会の辞を述べ次に酒井勝軍(さかいしょうぐん)氏のエスペーロ独唱あり。以下プログラムに従って幹事薄井[秀一]氏の協会設立以来の成績報告、(後略)」
ちなみに、同大会で、酒井、大杉栄、黒岩周六、長谷川辰之助らが評議員として追加選任されている(同書によれば、酒井、薄井は翌年11月の大会で評議員に選任されている。また、薄井は明治41年多忙を理由に幹事を辞任している。)。
酒井勝軍!
薄井秀一!!
酒井については、説明は省略。
薄井は、ヨコジュンが『明治時代は謎だらけ』で探求した人物。引用すると、
どうしようかと迷いながら、<理学界>明治39年9月号を読んでいたら、「▲エスペラント世界語」というコラム記事があり、こう書かれていた。「(前略)現今其主導は、黒板博士、藤岡勝二、薄井秀一、の諸氏と聞て居る。因に彼の露国文学に精通せる長谷川辰之助氏は、(中略)頃日『世界語』といへる小冊子を刊行せり」
薄井秀一はエスペラント語にも関係し、二葉亭四迷と同じ研究会に属していたのだ。大本教もエスペラント語普及活動に力をいれている。薄井の背後に、当時の大陸政策と大本教の影が、うっすらと浮かびあがってくる。さらにもうひとつ・・・・。朝日新聞社他のジャーナリズムが、薄井秀一の名を消そうとする理由が少し解けてきたが、その調べは資料不足で、まだ書けない。
ヨコジュンは、既に薄井とエスペラントのことにも言及していたのだ。忘れていたよ。
更に、ヨコジュンは、薄井の著書『神通力の研究』について、
『神通力の研究』は、明治44年3月に東亜堂から刊行された、心霊学の研究書だった。序文を千里眼騒動の中心人物のひとりである心理学者・福来友吉、進化論学者の丘浅次郎が書いている。
と記している。
この薄井の『神通力の研究』は単なる「心霊学の研究書」というより、福来の序によれば、東京朝日新聞記者薄井が、「朝日紙上に於て「神通力の研究」「神通力の発顕」なる題下に流暢平易なる筆致と公平穏健なる思想とに依りて20余回に亘り斯現象を論説し、大に読者の感興を動かした」その論説の「修正増補」だという。わたしゃ、某京王デパートの古書展で入手。
またまたこのブログに千里眼事件の関係者が登場してしまったなあ。
ちなみに、丘は山川健次郎、呉秀三、田中館愛橘らと共に、大橋新太郎邸での実験に立ち会った博士の一人。
*今日は皆さん、谷沢永一氏の話を聴きに行くのかしら。