セドローさん:それじゃ、自分は右翼の古本屋(笑)らしく、児玉誉士夫先生の著作を紹介。昭和47年12月発行の『児玉誉士夫著作選集』全3巻。下巻に収録されている「甦れ日本のこころ」には、今泉定助先生とのエピソードが出てくる。
引用すると、『謹厳な今泉先生の弟子の中で、わたしほど横着な者もいなかったようで、随分とご迷惑をおかけしたが、先生はイヤな顔一つされずお世話下さった。こんなことがあった−わたしがあるとき先生にお金を下さいというと何に使うんだといわれるから、「吉原へ行きます」と答えた。すると先生はニヤッと笑って「正直でよろしい」といって、当時の金で十円下さった。』
書物奉行さん:これぞ、皇道右翼、なんちて。
神保町のオタさん:僕は、右翼じゃないよ。
退屈男さん:一時期は、「WiLL」と「未来」の両方に連載を持っていたから、両刀使いでしょう。
書誌鳥さん:右翼、左翼などといふ、単純な二元論には意味がないでせう。
南陀楼さん:セドローくんが右翼かどうかは、僕あてにメールで聞いてね。
セドローさん:同書には日本大学皇道学院についても出てくるんだ。
読み上げると、『さて、そのころわたしは、小石川の水道橋で「日本塾」という塾を開いていて、若い後輩らと一緒に勉強していたのだが、もっと勉強しろと今泉先生からいわれたのが原因で日本大学に行き始めた。
それは昭和12年である。
しかし、私は、ろくに授業料も払わず、また不勉強な生徒でもあったが、今泉先生の弟子であるためいろいろの恩恵を受け、日大を卒業できたのも先生のお陰である。』
神保町のオタさん:皇道研究所は昭和12年6月20日に日本大学本部内に設置され、翌年4月から「皇道講座」を開講、14年2月に「皇道学院」と改称しています。『今泉定助先生研究全集』第1巻によると、皇道学院第1期卒業生の代表例は児玉とされているから、児玉の記述にある昭和12年はおそらく、昭和13年が正しいのではないかと思われます。ちなみに、昭和13年の講師の中に藤澤親雄の名前があるので、児玉は藤澤の皇道政治学の講義を受けていることになります。また、同書に掲載されている他の期の卒業生の代表例には、残念ながら並木軍平の名前は挙がっておりません。
書物奉行さん:それは残念だす。
注:『神道人名辞典』など、昭和12年に日本大学に皇道学院を設けたとの記述があるが、ここでは『日本大学百年史』の記述を採用した。ただし、同書には「本学では昭和8年10月から毎週月曜日午後7時から皇道教育の特別講座を開講し、今泉の「皇道の本義」を一般有志学生に聴講させていた」との記述もあるので、昭和12年度は特別講座、昭和13年度は皇道講座(後に皇道学院)を受講したと解する余地もある。
(以下続く)・・・いいかげん、終われってか