南陀楼さん:ちょっと、アヤシゲな本にしようかと思ったけど、やめにして、昭和23年9月発行の「暮しの手帖」創刊号にした。当時は、「美しい暮しの手帖」というタイトル。ちょうど、世田谷文学館で『花森安治と「暮しの手帖」』展が開催されているしね。
この創刊号には、戦前アメリカ議会図書館オリエンタリア部日本課長であった坂西志保がアメリカ評論家として「アメリカの暮し日本の暮し」を書いているのだ。
この記事掲載の経過については、昭和52年発行の『坂西志保さん』の中で、現暮しの手帖社社主の大橋鎭子さんが「五十からの青春」を書いている。引用すると、
『「暮しの手帖」の創刊号を出すとき、私は坂西さんのお原稿をいただきたくて、千葉県我孫子の杉村楚人冠さんの庭内の一軒家におたずねしました。昭和23年の春でした。』
少し飛ばして、
『私は「暮しの手帖」という雑誌の創刊の意味をきいていただきました。そのときいただけたお原稿は「アメリカの暮し日本の暮し」でした。
私たちの創刊号は一万部刷りました。売れるか、売れないかわかりません。心配しながら、リュックに「暮しの手帖」を入れて、一軒一軒本屋さんをまわっては、おいていただくようにお願いしていました。そのとき、坂西さんが新聞の学芸欄に、今度こんな新しい雑誌が創刊された、と紹介して下さいました。小さい記事でしたけれど、私たちは坂西さんに認めていただけた、ということで、どんなにうれしかったことでしょうか。あの日のうれしさは、三十年以上たったいまも忘れることができません。』
書物奉行さん:キムタク、じゃない、ソリマチの『一古書肆の思い出 2』には、昭和12年に、弘文荘への海外大図書館からの古典籍初注文として、当時日本語資料主任だった坂西が、来店するくだりが出てくるだす。『中背で浅黒いお顔色の、地味な洋装をした、一見平凡なおばさんでした』だって。
神保町のオタさん:坂西は、太平洋戦争開始後、昭和17年日本へ交換船により引き揚げ、翌年太平洋協会アメリカ研究室主幹となるが、同室には清水幾太郎、福田恆存、鶴見和子がいたというから、興味深い。
ジュンク堂の怪人さん:いやいや、もっとおもしろいのは、春名幹男『秘密のファイル CIAの対日工作』によると、坂西はアメリカ議会図書館勤務当時、日本外務省への情報提供者だったことは明らかだった上、断定する証拠はないが、米国との二重スパイだった疑いもあるという。戦後、国家公安委員も勤める坂西がダブルエ−ジェントだったりしたら、日本政府も立つ瀬がないよ。
神保町のオタさん:それじゃ、今日の古本合戦は、一時期、ハチャハチャになりかけたけれど、このへんでお開きということで。今日は、皇道図書館がらみの出品の多い日でした。
セドローさん:今泉定助先生の絶筆は、「世界皇化」だったそうです。自分も、世界皇化をめざして古本屋稼業を驀進する所存であります。
書物奉行さん:わすは、文献報国するだす、だす。
神保町のオタさん:僕は、世界赤化、なんちて。「すべての教科書を真っ赤にするぞ!」って、往年のガイナックスのマニアでないとわからんか。
ジュンク堂の怪人さん:私は、ひたすら座り読み!
退屈男さん:僕は、均一小僧でがんばります。
書誌鳥さん:我輩は、舊假名使ひでがんばるでせう。
注:「暮しの手帖」創刊号に「アメリカ評論家」の肩書きで中西が記事を書いていることは、河内紀著『解体旧書』に拠ったことを記しておきます。
これは、フィクションです。
実在する個人、団体とは一切無関係です。
登場した同名の方々には、勝手に名前を使ってすみませんでした。
(さいなら)