神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

竹内文献と皇道図書館


  さて、だれぞは飲みにも行かず(笑)、古本市にも行かず(笑)、皇道図書館の調査研究を着々と行っているであろう。あまり、人の
縄張りに口を出してはいかんのだが、だれぞとは違った切り口から迫ってみよう。それに、わすもいつポックリと逝ってしまうかもわからんので、これまでに気がついたことを記録に残しておこう。


  『世界的寶物の失われた實相』(高畠康壽口述。昭和24年1月発行)(『神代秘史資料集成 人之巻』に収録)によると、戦前、 来富した今泉定助(皇道図書館名誉顧問)に対し、富山市長井上芿憲が、「君は神道家であるが、竹内家の文献は何と鑑られるか」と尋ねると今泉は、「自分は未だ拝見してないが、これに関係している連中は皆山師的なものであると聞えている」と答えたという。
  (ちなみに、高畠は竹内文献の信奉者)


  竹内文献については、長山靖生氏の『偽史冒険世界』にも出てくる、戦前におけるトンデモ文献のチャンピオンである。
  この井上と今泉のやりとりを真に受けると、今泉はさすが竹内文献にはひっかからなかったと思ってしまう。


  しかし、竹内文献の信奉者の一人、上原清二(陸軍砲兵大佐)が昭和16年2月12日に神宮奉斎会本院で開催した「第1回飛騨神代遺跡研究会発案会」の出席者名簿(『世界の神都 飛騨高山』に収録)を見ると、陸軍大将林銑十郎、同じく陸軍大将の小磯國昭に続いて、
神宮奉斎会総裁今泉定助の名が見られる。
  他には、皇道社専務理事刈屋守弘や、皇道社書記小田島、皇道社大阪支部半田一義、同支部高島欽吾、神代文化研究所理事小寺小次郎の名も見られる。


  軍人の林や小磯、神代文化研究所の小寺は竹内文献の信奉者としてよく名前が出てくるメンバー。そういえば、1月14日に言及した
馬良橘海軍大将も信奉者の一人である。


  確証は未だないが、今泉をめぐる人々に竹内文献の気配が感じられると、もしかしたら皇道図書館って、トンデモ図書館だったのではないかという疑念がわいてくるのである。


追記:もう一人、藤澤親雄という信奉者もいる。長山氏の本にも出てくる人物だが、戦前は大政翼賛会中央訓練所調査部長、戦後は日本大学教授をつとめたりしているが、その戦前におけるもうひとつの顔は、皇道学院の講師だったことである。