「秋田県立秋田図書館横手分館旧蔵の『秋田考古会々誌』(秋田考古会)ーー柳田國男が顧問を務めた秋田考古会ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した『秋田考古会々誌』(秋田考古会)の2巻1号,昭和3年2月中の「余白録」に注目すべき記述があった。
(略)
田圃の中にてつきり古墳と瞰んだのが開墾の際の余り上[ママ]の捨場に盛り上け[ママ]たのであつた。最近県内某所にストンサークル、ドルメン、メンヒル等あらゆる巨石文化の跡の集合地を発見したとて騒ぎ立てたうつけ者もあつた。色眼鏡で見れば何とかも遺物、遺跡に見える。
お互ひ注意すべきことだ。
戦前の巨石遺跡ということで、発見者を鳥居龍蔵かと思う人もいるかもしれない。しかし、「鳥居さんのドルメン」と揶揄されるのは後年のこと。元東京帝大の助教授である鳥居博士を「うつけ者」とは呼ばないだろう。また、そもそも鳥居が秋田県で巨石遺跡を発見したという文献を見たことがない。
さて、同号の「雑録」には、次のような記載がある。
○江見水蔭氏の講演 同氏は昨年十一月九日県立図書館で「太古の日本」と題し講演され日本石巻[ママ]時代の住民はコロボツクルであるとなしたに対し本会員木村善吉氏は魁紙上で「先住民アイヌ説確立のために」と江見氏の説を駁された。
これを読んで、巨石遺跡を発見したのは江見だったかもと思ってしまった。しかし、秋田県立図書館で開催されたということは、同図書館内に所在し、会長が館長だった秋田考古会主催の講演会だったのだろう。そうすると、講演者の江見を「うつけ者」呼ばわりするのは、考えにくい。巨石遺跡を「発見」したのは、誰だったのだろう。
後に秋田県内からは、大湯ストンサークルなど多数の巨石遺跡が発見されることになる。昭和初期に「うつけ者」が「発見」したストンサークル、ドルメン、メンヒル群は、もしかしたら本物だったかもしれない。
追記:江見に「暁の錦木塚ーー秋田紀行の内ーー」『不同調』昭和2年3月号があるが、未見。