神保町系オタオタ日記

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大場磐雄『楽石雑筆』に「信仰と迷信に関する通俗科学展覧会」ーー國學院大學博物館で「楽石雑筆展」開催中ーー

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 國學院大學博物館で、「企画展「楽石雑筆―神道考古学の祖 大場磐雄の記憶と記録―」 【会期:2020/11/5~】 | 國學院大學博物館 考古と神道で知る日本の文化・歴史(国学院大学博物館)縄文 土偶 埴輪 土器 神社 宗教 東京 渋谷 無料 Japanese tokyo shibuya Culture History Museum Archaeology jomon dogu haniwa Shinto Shrine religion Kokugakuin University Japan Tokyo free of charge」が12月26日まで開催中。行きたかったが、コロナ禍で上京は断念した。代わりに、『大場磐雄著作集』6巻(雄山閣、昭和50年7月)の「『楽石雑筆』〈上〉ーー大正七年より昭和四年までーー」を読んだ。同書の「楽石雑筆の成り立ち」によれば、『楽石雑筆』は「私の考古学や民俗学に対する揺籃期から成長期への記録であり、学問の方向が定着した大正十年以後は考古学についての見聞や各地の調査及び旅行が中心となり、その後は専ら調査日誌に中心を置いて昭和四十年まで書き綴られている」という。
 6巻の内容は、大場が地理の教師(竹内運平)から貝塚やコロボックルのことを聞いたり、江見水蔭『地中の秘密』『三千年前』を読んで、石器の採集に出かけ、考古学の初歩に足を踏み入れた経緯から始まる。やがて、東京帝国大学人類学教室を訪問、鳥居龍蔵主幹の武蔵野会に入会。國學院大學入学後は、折口信夫の指導で民俗学に傾斜、大正14年末頃から内務省神社局に奉職し、神社所蔵の考古資料に関する記述が多くなり、古代祭祀遺跡への関心が起こり、ライフワークとなる神道考古学研究への端緒となる時期の日録である。
 学生時代に吉永さんに、「先ずは大場磐雄の『神道考古学論攷』を読んでみて」と言われて、同書を読んだことがある。『楽石雑筆』についての記憶はないが、当時の私ではこのような記録の面白さは分からなかっただろう。巨石遺跡探査の記録もさることながら、地方の好古家が所蔵する蒐集品の見学記録が特に興味深かった。今回は、「今、田中緑紅が熱い⁉ 『信仰と迷信』創刊号(郷土趣味社、大正15年)と『ちどり』4号(ちどりや、同年) - 神保町系オタオタ日記」で言及した中山文化研究所主催の「信仰と迷信に関する通俗科学展覧会」についての記述を発見したので、それを紹介しよう。

(大正十五年)
◎七月二十四日、中山文化研究所主催の「信仰と迷信に関する通俗科学展覧会」を見る。本願寺内の武蔵野女子学院中の一ー八室に陳列せり。目録付記の如し。そのコレクションは文医博富士川氏のものを主とし、中村氏その他の採集によれるものゝ如し。為に医学に関係せるもの多し。中について二、三注目せるものを記す。(略)次は第三の治療に関するもの中に、疱瘡神をよける図として牛にのれる図(錦絵)あり。嘉永年間なりという。種痘の輸入古きを思うべし。次に護符と肌守についても興味あるもの数多あり。(略)
 次に各神社の護符を見る。八坂神社のカユズエと蘇民将来、石清水の矢と鳩と杖、開運神社配符の鉾、堀越神社の招き杓子、住吉のおもと人形、摂津西宮の福運達磨等。又立川流神道につきて説明を得たり。(略)
 又一つ明治八、九年頃の郵便報知新報四百五十二号に褌祭の事あり。尾張亀崎の一円にて褌をまつれる図あり。興味あるというべし。

 これによると、展覧会は大正15年4月の京都府立第一高等女学校での開催に続いて、東京の武蔵野女子学院でも開催されたことが分かる。このような貴重な記録を残して、大場は、6巻刊行直前の昭和50年6月7日に亡くなっている。