高山寺開祖の明恵上人(1173-1232)が残した膨大な夢の記録である『夢記』(ゆめのき)。それを知ったのは、平成26年1月にあった河合俊雄先生の講演「河合隼雄との三度の再会」である。『夢記』の「発見」の重要性について語っていたことが、特に印象に残っている。
その時の記憶があるので、昨年中之島香雪美術館で開催された「明恵の夢と高山寺展」にも行ったのであった。高山寺や村山龍平コレクションに属する冊子体や掛け軸の『夢記』は、眼福であった。図録の奥田勲「明恵の夢ーーもう一つの生涯ーー」によると、従来高山寺伝来分の夢記は資料的整備や総合的研究がなされたが、寺外各所に存在するほぼ同量の夢記は研究が進展しなかった。しかし、高山寺本と同量ということは価値も同等にあるとみなすべきと考える人々により、資料的整備、編年、訳注等の作業が進展し、明恵の夢の全体像が明らかになりつつあるという。
さて、『紀伊郷土』7号(紀伊郷土社、昭和9年1月)が手元にある。一昨年に古書鎌田から300円で入手したものである。同誌は、昭和7年7月創刊で16号,昭和12年11月まで刊行されたようだ。目次を挙げておく。
編輯兼発行者である濱田康三郎の「明恵上人の『夢之記』」が載っている。これは、昭和8年10月に和歌山県有田郡内崎山に明恵の紀州遺蹟卒都婆が再建され、11月に奥田正造『明恵上人要集』が完成し、中西正雄『明恵上人』が近刊の予定であることを祝し、執筆したとある。また、元々明恵の伝記を読み始めた時、あまりに多く夢を記してあるので夢日記があったのだろうと書いたら、高山寺の土宜覚了から連絡があり、宝蔵から『夢記』等を運び出し、説明してくれたという。
この和歌山市に住んでいた濱田、田中久夫『明恵』(吉川弘文館、昭和63年8月新装版)の「参考文献」には、『栂尾明恵上人』(高山寺、昭和6年)と「皇室と明恵上人」『紀州文化研究』1・2,昭和12年の著者として名が挙がっている。明恵に関する本・論文は既に大正期から見られるが、特に夢記に注目した人物としては、最初期に属するだろう。
濱田は、トム・リバーフィールド「雑誌『伝記』と「伝記研究家一覧」」『二級河川』15号(金腐川宴游会、平成28年5月)に立項されている。ただし、生没年不明で、著作として「上覚上人」『密宗学報』226・227、「三浦為春」『紀伊郷土』8~11号があることや研究対象は紀伊関係の人物であることが分かるだけである。どういう経歴なのか不明なので、引き続き調査してみたい。
追記:濱田は、明治44年早稲田大学大学部文学科英文学科第一部卒。同期に加能作次郎、長田幹彦。『早稲田大学校友会会員名簿』大正4年11月調では福井県立福井中学校教諭、大正14年11月調では工業学校教諭(住所は京都市上京区)。