竹内義宮『デハ話ソウ:竹内巨麿伝』(皇祖皇太神宮、昭和46年11月)の「主な神宝拝観者と参拝者」には、オカルティストや軍人の名前が挙がっていて、何度となく読んだものである。あらためて見てみたら、最初に並ぶメンバーに違和感を感じる。
大正十一年
長峰浩
河合日辰(京都妙顕寺管長)
小泉日慈(身延山管長)
磯野日筵(池上本門寺管長)
喜多村日修(法[華]経寺大僧長)
清淋日守(本妙法華寺管長)
渡辺長男(銅像工士)
其の他 六十余名
この時の拝観神宝は、日蓮上人の真筆五福[ママ]他三点
長峰浩については、藤原明『幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿:超国家主義の妖怪』(河出書房新社、令和2年1月)の「竹内巨麿と天津教関連年譜」で、天津教の教祖巨麿の伝記『明治奇人今義経鞍馬修行実歴護譚』(興国会、大正元年11月*1)*2の著者である長峯波山のことかとしている*3。長峰に続く5人の日蓮宗関係者が後年のトンデモない拝観者から見ると非常に違和感を感じる。5人のうち最も著名なのは、元日蓮宗管長で元日蓮宗大学学長だった日慈だろうか。
この大正11年は、大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか:近代日本の思想水脈』(講談社、令和元年8月)によれば、本多日生が田中智学の協力を得て、9月各宗派管長らで宮内大臣宛に日蓮への諡号を請願し、10月立正大師の諡号宣下を得た年である。この動きと関係があったのか、なかったのか。
渡辺長男という彫刻家はググると、朝倉文夫の兄で、大正12年千葉県清澄寺の日蓮聖人銅像を制作しているようだ。渡辺も日蓮宗に関わる人物であった。なお、朝倉文夫と『上記』の関係については、「三角寛に提供された『ウエツフミ』の出所 - 神保町系オタオタ日記」参照。
日慈らが見た日蓮の「真筆」。その一端は、木村錦洲編『大日本神皇記』(皇国日報社、昭和9年5月)の口絵に出ている。『神代秘史資料集成』天之巻(八幡書店、昭和59年5月)から写真を孫引きしておく。
「日蓮上人参拝入籠最初の御題目」だという。同じ写真は、小島光枝編『神皇御記録傍証』第1巻(小島光枝、昭和17年9月)では「日蓮上人参拝入籠最初の御曼陀羅」とされている。日慈らは、日蓮の「真筆」を見て、どう思ったのだろうか。