一昨日紹介した『文学日記:大正十五年』(聚芳閣)は、日付と曜日の関係から3月以降も本来の大正15年の記載があり、昭和3年の記載と混在しているという複雑さが分かった。著者の氏名が不詳なので、「青年A」と呼ぶことにする。もう一人昭和3年において同じく数え22歳だったある青年を「青年B」と呼ぶ。こちらの日記は翻刻されている。二人の日記を比較すると、共通点の多いことが分かる。
・青年Aの日記
昭和3年12月15日(土) もう来年の日記の用意も出来た 心[の]準備はまだ不完全なる中にもう二十三才の春も近づいて来た
・青年Bの日記中の短歌
昭和3年1月10日(火) 二十二の春をむかへてさだめなき己がのぞみのかなしくもあるか
二人とも、昭和3年2月7日に亡くなった九条武子に言及していた。
・青年Aの日記
昭和3年2月11日(土) 九條武子さんが死んだ( 日)
・青年Bの日記
昭和3年2月17日(金) 先日九條武子夫人逝けり。
二人は、煩悶する青年でもあった。
・青年Aの日記
大正15年(?)4月12日(月)*1 今までの吾はあまりに死を思ふた。それはまちがつてゐた[。]死は死であつた[。]死は滅であつた[。]あらゆるものゝ解決ではなくて中断であつた(略)
霊魂不滅それはまだ吾に分らない。
霊魂不滅は信じたくない
誰か死んでから事をなした人があるか[。]死して其人のなせる事のあらはれる事はあつても決して其れにかへる事はないのだ。
死はあらゆるものゝ滅であるーー。
・青年Bの日記
昭和3年1月12日(木) 願ひもなく誇もなき日哉。たゞ生けるのみ、生けるのぞみもなきか。(略)たゞ坦々として日はすぎ行く。何のための生ぞや。憂し侘し。凩の音にだに冬の夜のあはれはあれど、生きんとする者の歓喜はなきものか。日の光あほげど光なしとや言はん。時はすぐれど、青春なしとや言はん、嗟。
島崎藤村が好きという共通点もある。
・青年Aの日記
昭和3年12月1日(土) 唯藤村氏の若菜集を読み 何ものか心をうたれるものを感ずる事によつて幾分かの思ひを晴らすのみである
・青年Bの日記中の短歌
昭和3年4月25日(水) 藤村の詩集をだきてこの浜辺さまよひ来にし一人よまむとて
本好きな二人、特に青年Bは古本が好きだった。偶然にもBが買った『アラヽギ』誌、Aの日記昭和3年12月19日の条に描かれた絵の中にも出てくる。
・青年Aの日記
昭和3年11月30日(金) 子規全集第五巻を買ふ
・青年Bの日記
昭和3年5月8日(火) 洋食をおごり、天神橋すじを歩む。内本町が夜店にて古本をかふ。
同年8月12日(日) 『アラヽギ』を買ひてかへる。島木赤彦の追悼号なり。古本にて一円四十銭、かへりて読む。
青年Aは滋賀県に住み、青年Bは大阪府に住んでいたが、二人とも京都へ観光に来たことがある。Bは、大礼記念京都大博覧会に出品された西村真琴制作の学天則(ロボット)を見ている。これまた偶然だが、Aが使った日記帳には、チャペックの『ロボット』の一節と舞台の写真が載っていた。
・青年Aの日記
大正15年(?)5月2日(日) 母□□と京都へ行く
今熊野、清水寺□□の楓の新緑実に見事なりき。
・青年Bの日記
昭和3年11月24日(土) ロボ拝観のため早朝起き出でゝ天六に向ふ。(略)京都へは一時間。(略)ロボハ十一時四十分に拝観、秩父宮の姿のみ。
煩悶する短歌好きの二人の青年。青年Aは、おそらく無名のまま終わったと思われる。一方の青年Bは、松屋町筋で見つけた雑誌が運命を変えた。
・青年Bの日記
昭和3年5月6日(日) かへりに松屋町筋を歩き、『旅と伝説』なる雑誌を見。卒然として伝説研究に心動く。一生の仕事として最適なり。之より材料を集めん。六時かへる。夜は伝説研究の計画を作る。